中山峠ユースホステル

死ぬかと思った!

札幌から洞爺湖方面に行くときに使う国道230号の最高地点(標高835m)に位置するのが中山峠です。
 向こうに見える山は羊蹄山
標高が高いのと雪の降りやすい地形なのでしょうか?
北海道の峠でも一番最初に雪が降り、最後まで雪の残るのが中山峠です。
峠にはドライブインと中山峠健民センターのグランドと宝乗山スキー場が、そして道立「中山峠ユースホステル」がありました。
YHからスキー場はすぐに行けて春スキーなども楽しめたようですが、私はなぜか滑ったことは一度もありません。

峠のバス停を降りて、夏道だと、ゆっくり歩いて10分程度だったと思います。

ある時、何を思ったのか?中山峠YHを予約しバスに乗りました。 今もなぜ向かったのか不明です。
季節はYHスタンプ帳の拡張部分をなくしてしまったようですので、明確な日時はわかりません。
真冬だったことは確かです。
札幌でも雪の強まってきた時、バスに乗りました。
峠に近づくにつれ風雪は強さを増し、バスも中山峠で打ち切り札幌に引き返すと言う事になりました。
私は中山峠にさえいければ宿もあるし「まあいいんでねぇの」的な、能(脳)天気状態。

中山峠に着きました。
道路もすでにかなりの冠雪状態でしたが、バス停を降りてYHに向かう方面はすでに腰まで埋まるほどの雪。
ドライブインはかろうじて見えるのでYHの大体の方向はわかります。

ドライブインの裏側に回るといきなり激しい暴風雪に襲われ一面真っ白の世界になります。
自分の歩いてきた部分だけは何とかわかるので、上下はわかりますが吹雪に正面から向かうと上下左右の感覚すら無くなります。
激しい風雪は歩いてきた(ラッセルした)跡も数メートルを残して消し去ります。
なんだか自分の位置もわからず方向なんか全く不明。 【完全にホワイトアウト状態・・・】
たぶんYH入口の右へ入る道を見失ったのでしょう、どこまで行っても一面の雪原だけなのです。
ラッセルをした時間を考えてもすでに到着時間をとうに超えています。
道に迷ったなと思ってみても真っ白な中では、頭の中も真っ白になっていて考えが及ばない。
雪はますます強さを増し、所によっては胸近くまでのラッセルを強いられます。
汗が出ます。 時間が過ぎるにともない冷や汗も出ます。
ビバーク(雪中仮泊)と言っても汗の出た体では体温維持すらできない・・・

いや・まずい、まずい、まずい、これって遭難じゃん。
歩き回って体力使い果たして・・・、と知ってるつもりでいても頭がついてこない。
あぁもうダメだ、天は我を見放した・・・
見放されるようなことばっかしてたからなぁ・、「神様もう悪いことは何一つしません」お許し下さい
と、願ったそのとき、一瞬だけ・本当に一瞬だけ風雪が小やみとなってYHへの分かれ道の標識が見えたのです。
まさか自分がぐるぐる回り(リングワンデルング)してしまうとは。
どうやら迷って、歩き回っていたのは航空写真から見ると本当に小さな範囲だったようです。

YH到着後すぐに神様の事を忘れてしまったことは・・大きな声では言えない・ (バチ当たりだなぁ)

まぁ、おかげさまで、今こうしてブログも書けているわけで。( 俺が神だ!なんて・・・神様ごめんなさい

複雑な思いの「中山峠ユースホステルでした」

 建てられた当初(1967ハンドブックより)1967年(昭和42年)開所

このハンドブックを見るたびに「なんか違和感があるなぁ」と思っていましたら・・・
写真が裏焼きだったんです。(今の人に写真が裏焼きといっても”わっかんねぇだろ~な~” )裏焼きとは>>

 その後奥側に増設され、大型化されています。

ちなみに中山峠ユースホステルは北海道によって建てられ、運営は地元の喜茂別町だったと思います。

その頃のいい歌

コメント

  1. diabro より:

    1980頃に学生時代の部活動で旧ユースを利用した思い出があります。現在のホテルより手前にグランドがあり、オリンピック以降にはユース奥にあったジャンプ台と併用して全国のスキー部の方々が利用されていました。現在では廃墟になり、旧ユースは解体されていますが高地トレ目的で利用した夏運動部としては寂しいです。