南回り14回 第12日目 8月18日(金)


今日の行程は 旭川→石狩平野→札幌ハウスYH です。
みんなよく寝れましたか?

昨夜はこのホステリングの最後の夜でした。 旭川YHスタッフの心づくしのキャンドルサービスもやりました。
寝れなかったから元気がないの? 最後の日だから元気がないの?
初日、札幌ハウスで出会ったときの疑心暗疑というか、おっかなびっくりの気持ちだったのにね~ この旅行を通して本当に良い友達を得てくれたみたいです。

初日から同じ釜の飯を食い、同じ道を歩いてきたのに、それなのに・・・もうすぐ君と私は別の道を歩かなくてはならないのです。
悲しくなる気持ちはよくわかります。

南回りコースでは道北方面に行くホステラーのために旭川を最終日(終点)にすることが出来ます。
(原則ホスバスは札幌乗車・札幌下車でした)
旭川YHに着いたとたん「サヨナラ」して18時過ぎの急行「宗谷」を目指したり、夕食をとって仮眠したあと深夜の急行「利尻」で最北に旅立つ人もいたようです。
「宗谷」の稚内到着は深夜でしたので朝まで駅の待合室で一眠りです。 利礼航路も宗谷岬に行くバスも7時以降発です。
「利尻」は早朝着でしたから利便性は高かったです、一泊分の宿泊費が浮きましたし・・
ただ「利尻」は乗車率がハンパなく高かったです。 夏は大体いつ乗っても4人掛けの向かい合わせシートに4人乗っていましたし・・
隣の席が空いていたら横になろうなんてまず無理・・(苦笑)
そんな混んでいる列車でしたがみんな旅人、少しずつ腰をずらしてスペースを作り互いに足を伸ばして座れるようにしていました。
旅の猛者は通路で人の迷惑顧みず寝ている奴もいました。 
この急行「利尻」女子一人旅には敷居が高かったかも。 いやいや結構乗っていました・・っけ

朝の歌、最後だから元気に歌おうよね、と言ったのに何か沈んでしまっていました。

沈んだ心と言えば、旭川を舞台にした三浦綾子さんの小説「氷点」を忘れることは出来ません。
戦後すぐの昭和21年、旭川市在住の医師辻口啓造は妻の夏枝が部下の眼科医村井と密会中に、佐石と呼ばれる男によって娘ルリ子を殺されてしまいます。
啓造は夏枝に対するうらみを秘め、死んだルリ子の代わりに女の子が欲しいと言う夏枝に対し、殺人犯佐石の娘とされる幼い女の子を引き取るのです。
女の子は陽子と名付けられ、夏枝の愛情を受けて明るく素直に育っていきます。
時がたち陽子は出自を知る事となり、そこから多様な人間模様が描かれていきます。
その後の展開はご存じのとおり、というか知らない人は読んでください。

この作品はキリスト教で言う人間の本質「原罪」を描いたものでしたね。
敬虔なクリスチャンであった三浦綾子さんが愛や平和、喜びの素晴らしさを知っているはずの人間がどうしても切り離すことができない罪の性質を書いています。
あなた
あなた
「原罪」という言葉があまりにも抽象的で、何を意味するのか分かりませんでした
私はキリスト教徒でもありませんので、人が生まれながらにして持つ「原罪」と言う事(意味)は知りませんが、人が社会で生きていくために必要な心のあり方についてはわかります。 (わかっているつもりだけなのかも知れませんが)
わかっているだけで、実際に自分が行ってきた行ってきた一つ一つの事は何一つきれいな事は無かったと思っています。
これが「原罪」なのでしょうか?
あなた
あなた
そんな言われ方をすると・・私だって・・・・・・・・・
だからといって今の私が懺悔しようとすると、きっとあまりの重みにつぶれてしまうかもしれません。
そうそう・【わが国には見て見ぬふり、という便利な言葉がありますですぅ!】

自分の汚れた事はさておいて(だってそうしないと先に進みませんから・笑)

旭川の代表的な観光地である「外国樹種見本林」は旭川駅と旭川YHの真ん中あたりにあります。
旭川YHに駅から行くには忠別川・美瑛川(あの十勝岳を水源とし、あの美瑛の街を流れ下ってきた川です)【忠別川・美瑛川ともに石狩川水系です】を渡らなくてはいけませんが、見本林はそんな川に囲まれた中州のような場所にありました。
今でこそ「氷点橋」「クリスタル橋」などありますが、当時は便利に利用できる橋は無く、ちょっと厄介な場所にあったのです。
そんなちょっと不便さがあったからこそ、陽子が自殺を図ろうとしたのかもしれません? (ごめんなさいネタバレになっちゃうかも・・)
今のように便利便利になっちゃうと「え~すぐ発見されちゃうよ~」と遠慮しちゃうかもしれませんね。

さてさてバスは一路札幌へ向けて進行していきます。
バスの終着場所は、旅の終着点でもあります。
昨夜のキャンプファイヤーから、涙が止まりません。 (私はキャンプファイヤーでの煙がいまだに沁みていたための涙でした・・・)

遅くなりましたが、道中の安全運転とステキな歌声を聞かせてくれた「運転手」さんと「バスガイド」さんに、ホステラーを代表して御礼いたします。
そして一曲!

最後にこう言ったのをおぼえていますか 「ホステリングバスの中で培われた友情と連帯の気持ちをいつまでも忘れず、やさしい心をもってこれからの日々を送って下さい」と。
あれから半世紀近い日が経ちました。 でも、あの過ぎた日は決して遠い世界ではありません。

私をはじめ、みんなおじいさんおばあさんになってしまいましたね。 でも出来る事はまだまだあるはず。
これからも思いやる心をもって、小さな一歩でもいいです、社会貢献に努力するみんなであってほしいと願ってやみません。



みんな、いつまでもいつまでも友達だよ、 本当にありがとう

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