双子山(旭山記念公園)

札幌市内にある円山公園と円山、その隣に旭山展望台(公園)があるのはご存じですか?
たぶん札幌市民なら幼稚園や学校の遠足で行きますのでご存じと思いますが、道外の方は全く知らないかも・・・

内地の方には、藻岩山の展望台や円山の方が有名ですものね・・

ところで、この旭山と言う名前なんですけど、どこから出て来たのか全く不明です。
旭山記念公園が出来るまで、この山は双子山と呼ばれていました。
円山と藻岩山の間にあり、双峰の山体を持つため「双子山」、まんまの山名です。
逆に旭山という山名は、国土地理院の地図上にも出て来ません。
どんな経緯があったのでしょう? まさか札幌市の役人が勝手につけたのではないですよね。

昭和30年頃までこの周辺は、現在の札幌市街地の区割り内でなく、郊外と呼ばれる地でありました。
少し前の話(昭和の初め頃)ですが、【札幌温泉土地株式会社】なる会社が双子山山麓に【札幌温泉】なるリゾート施設を立ち上げたのです。

左後ろの山は「藻岩山」ですね。 建物右手に上がって行けば双子山です。
見てくれは絢爛豪華な洋風で、本館横の建物の塔屋は展望台を兼ねているデラックスな温泉施設は、当時の札幌の人々を驚かせたようです。

温泉を中心とした別荘地開発・宅地開発も合わせて行い、その目玉として【札幌温泉】を作ったようです。


実はこの周辺は、温泉(鉱泉)がいくつかあったので【札幌温泉】の開発者も、当初「ここ掘れワンワン・・ほ~ら出た~」みたいなイメージを
持っていたのではないでしょうか。
ところがどっこい、温泉は全然出ず(掘削技術不足か?)、ついには6里(24km)以上離れた定山渓温泉から土管で湯を引いたとの話です。
(定山渓の、どの源湯から引いたかは不明です)
すごい力業です。 でも定山渓まで行かずとも、近場で定山渓の湯に入れるなら上出来かも・・・
今ならタンク車で温泉水を持って来るやり方もあるのでしょうが、土管で長距離を引いてくるやり方にはただただ驚きです。

さらには住宅分譲の促進と温泉浴場への来客増を図るため電車の敷設を計画し、[札幌温泉電気軌道(株)(昭和5年から札幌郊外電気軌道に改称)]を設立し
昭和4年から運行を開始しました。 運行経路は市電円山3丁目停留所(今なら大通西23丁目)から終点は札幌温泉下でした。

路線は単線で2両編成でしたが、電車としては結構な上り坂を上がるため、札幌温泉の玄関までは入れず、札幌温泉下と言う400mほど離れた停留場が
終点になったようです。(現在の「双子山1」交差点あたり)
そこからは徒歩ですが、距離400m、標高差30mはお年寄りには結構大変だったものと思います。
たぶん人力車とかポーターがいたのではないでしょうか。
お金持ちは自家用車か、電話すれば札幌市内どこへでもお迎えが出来ると書いてありますから、利用した方も多かったと思います。
冬は車が使えないので、馬そりだったとか、すごいなぁ。
馬車で温泉へ行く・・・何となくロマンチック💛

札幌温泉は別荘地開発・宅地開発も行っていたと書きましたが、当時このあたりはほとんど人家も無く売れ行きはダメだったようです。
さらに札幌温泉電気軌道の唯一の温泉下変電所が、漏電?による火災で焼失、電車の運行は停止してしまいます。
土管を流れる生温泉水に含まれる温泉成分により流れが悪くなっても、お金が無く保守が滞ったことなど、人気ダウン⇒益々減益!

いろいろキナ臭い話もあったようで、結局「札幌温泉」は僅か5年程で廃業となってしまったようです。

ところでこの双子山地区(界川地区)は札幌の別荘地として発売されたように、札幌郊外の田舎町だったことがわかります。
今や高級住宅街として名を成す円山地区も、当時は新規開発された新興住宅地でした。

私の母方の祖父母は北3条の植物園の隣りに住んでいたそうですが、悪い人に騙され土地を取られてしまい、仕方なく当時はとんでもない田舎だった
北5条の円山北町に転居したとの事です。
移転した土地の半分は、湿地帯のままで整備もされていず、大変な苦労だったと聞き及びます。

双子山ですが、祖父母は友人から土地を借りていたとかで、双子山山腹に畑を作っていました。
時々祖父母は山へ連れて行ってくれました。
山の畑までは円山の家から1時間ほどあり、結構大変でしたが、道すがらいろいろな建物を見ながら歩いたものです。
西25丁目通りをまっすぐ南下し、南8条か9条辺りから旧札幌温泉電気軌道廃止線に沿って行ったものです。

その中で特に記憶に残っているのは、上に別荘地と書きましたが、特に双子山山麓は静養地としての病院もありました。
今でいうサナトリウムでしょうか。
子供心に不思議なところだなぁ?と覗き込みましたが、祖父母からあまり覗くで無いと注意されました。

山の畑ではもぎたてのキュウリとかトマトを食べさせてもらい、もぎたては美味しいなぁと思ったものです。
帰り道はご多分に漏れず、リヤカーに乗って寝ていたとか。

そんな双子山の想いでしたが、いつしか土地を市に供出するからと言って畑は無くなり、再びその地を踏むことはありませんでした。

その双子山は1970年(昭和45年)に札幌市創建100周年を記念して旭山記念公園として整備されました。
一番上の写真にあるように標高100mほどの高さからの展望は、標高以上に素晴らしいものがあります。
でも、私も見た・・の、記憶は全くありません。  あるのは病院と野菜の記憶だけです。

そんなわけで旭山でな双子山の名前に強いこだわりがあるのです。

古い写真は札幌市公文書館からのコピー(写真)です。

<追記>
この双子山地区は円山原始林と藻岩原始林に挟まれた地区になるため、政令指定都市の区部にありながら自然が多く残っています。
最近では旭山記念公園でヒグマが発見され、樹林エリアへの立ち入りが規制されました。
熊だけでなく野鳥も多くの種が見られ、特に雪の妖精と呼ばれる「シマエナガ」が人気急上昇中です。

なんと公園管理者のWEBサイトでもシマエナガ情報を流すほどです。 WEBサイトはこちら
写真ではわかりにくいですが、目の上の黄色いアイシャドーが愛らしいですね。

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