北大ポプラ並木

ポプラ並木って”北海道らしい、いかにも”って言う感じを持っていますよね。
広大な土地から真っ直ぐ天に向けて伸びるポプラの木、緑の大地と青い空を背景にして見るといかにも北海道ぽいですね。

北大のポプラ並木は、1903年(明治36年)にアメリカから持ち帰った数本の苗木から始まるとか。
これを北大の教授が農道のアカシア並木に続くように植え、農場の防風雪林にしようとしたとの事です。
ただポプラの木は成長が速い反面、材は柔らかくて緻密さに欠け、強度や耐久性で劣るのです。 (マッチの軸にも使われるとか)
また寿命は比較的短く、数十年から100年程度で老木となり、台風などで倒れやすいと言われます。 
植林当時はポプラに対する知識が定着していなかったのでしょうね、  偉そうに言うなよ⇒自分に対して

実際に1959年(昭和34年)の台風による被害では、ポプラ並木の10本以上が倒木となりました。
2004年(平成16年)の台風18号では51本あったうち19本が根本から倒れ、8本が大きく傾いてしまったそうです。
北大内では伐採論が唱えられるようになり、倒木のテストまで行われ危険性が認識されたものの、伐採はせず学内の英知を集めて並木の再生をはかったとか。
今は立派なポプラ並木に復元されています、多くの方の知恵と寄付で再生されたのでしょう、ありがたいことです。
ただ今でも1/4までしか通行できないのは残念です。 一時、並木道は立ち入り禁止だった事を思えばいい方かな。

ホスバスに乗った皆さんが行った(行ってないの?・札幌ハウスから15分ぐらいだったのに・・)頃はフリーで奥まで行けたと思います?
札幌ハウス近隣といえば「ジンギスカン義経」がありました。 美味しかったです。 その頃主流の”滝川系”でしたね。

北大のポプラ並木は、日本政府観光局の訪日外国人向けサイトでも、札幌市時計台、北海道庁旧本庁舎と並ぶ札幌市の観光名所として紹介されています。
・・ですが、上の三か所は現代札幌「三大がっかりの場所」であるとも言われています? 平成ポプラ並木と合わせて、私はいいと思うのですがね。

ポプラの木そのものは、北海道だけで生育するわけでも無く、全国に結構存在します。
 東京の水元公園などにも立派な並木道があります。

えぇっと、このコラムで書きたかったのはポプラ並木そのものでは無かったの・・・

私の古い記憶によると(ほとんど92%くらい怪しい)ポプラ並木入口のすぐ右側、キャンパスのある側のすぐ横に踏切の柵、無かったですかね?
踏切の柵って言ってもわかりずらいかも、国鉄仕様のコンクリートの柵があったと思うのです。
ずっと喉の奥に引っかかった魚の骨のように気になっています。

いい年になった今、このままでは死ねないと思い、ブログを書き始めた事もあり再度調べ直してみました。

すると
「北大馬術部そばを走るSL」の話、HBCで放送(2016年3月21日) 宮崎 健(昭和38年卒)氏の記述が
 「ポプラ並木のそばに北大馬術部があったころ」で今では知る人も少ないでしょうが、 当時の国鉄の引き込み線がありSLが煙をはいて
走っていたことを紹介しました。 元記事はこちらから。
その記事を見たテレビ局から取材の申し入れがありました。
「はじめまして。私北海道放送(HBC)で「今日ドキッ!」という夕方の番組を担当している者です。
現在北大の歴史に関する番組企画を進めておりまして、その中で北大にかつて走った鉄路の話を取り上げようと考えております。
いろいろと調べている中で貴ホームページ内の、北大馬術部物語「ポプラ並木のそばに北大馬術部があったころ」の中に汽車の写った
画像が掲載されているのを拝見し、この画像を番組の中で使用できないか、あわせて当時のお話しをインタビュー等で伺えないかと思い
メール差し上げた次第です」
いろいろ交渉の結果、あのころをよく知る市川瑞彦・馬術部監督がポプラ並木の横でアナウンサーのインタビューを受けるなどして、
平成28年3月21日午後5時半からのHBC「今日ドキッ!」で放映されました。
30分もロケした割に市川監督の雄姿はほんのちょいだけで物足りないものはありましたが、当時北大の石炭の消費量は一冬に2万トンだった
ことなどが紹介されています。
なにより珍しいのは記事の中で馬術部時代から筋金入りの”鉄チャン”だった横田肇氏(昭和40年卒)が筆者が「D51」(デゴイチ)と
誤って紹介したものを「あれは貨物用の9600型(愛称キュウロク)です」と訂正していますが、そのキュウロクが動いているフィルムが
テレビ局にあったことです。
ホームページで紹介したスチール写真と違って、鉄道員が列車の先頭で旗を振りながらバックでSLが入って来るところは圧巻です。
馬橇をあやつる当時の市川主将の写真も登場、そこには「これは市川さん」と注釈のテロップも入っています。
この馬橇も今となっては貴重な写真です。
そんなわけで放送された番組の動画をアップしました。

と言う事で、下に動画をリンクしておきます。 ぜひ見てくださいね。


動画を見るとSLが8分18秒位からポプラ並木横の踏切(ただの道)を横切って行きますが、踏切柵は姿もかたちも見えません。
校内引き込み線は動画のテロップでは昭和27年春から昭和38年秋まで存在していたとの事です。
撮影時期も昭和30年8月とか。  その後ちゃんとした踏切が出来たのでしょうか。
このページ一番上のポプラ並木の絵葉書写真も昭和30年頃です、その頃には札幌名所になり観光客も増えてきた頃だったでしょうから。

札幌の踏切といえば、北7条西11丁目にあった踏切でしょうか。 (魔の踏切)
母は列車でここを通る時、必ず手を合わせ私に「踏切を渡る時は十分注意するよう」言っていました。 特に雪の日は、と。
あ・そうじゃない、北大への引き込み線はちょうどこのあたりから北へ向きを変えて入っていきました。

残念ながら私は北大校内をSLが走っている姿は見ていません。
 校内を走るSLと走る若者

上の動画を見直していたら5分過ぎに、線路柵のようなものが見え一瞬期待したのですが、現在の花木園の柵のようです。 残念!

いろいろと書いたものの、やはりポプラ並木横の踏切柵については何の解決も出来ていません。
まぁ無いなら”無かった”でいいんですが、やっぱり骨が取れない・・・

*別件*
今や北大といえば「イチョウ並木」もかなり有名です。
昭和14年頃に植栽されたもので、当時は、サクラとカエデと小さなイチョウが混在した並木でしたが、今では立派なイチョウの並木道になりました。

皆さんお近くでも立派な「イチョウ並木」はあるのでしょうね。 東京で言うなら神宮外苑の「イチョウ並木」が有名です。

風に舞う落葉といえば

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