伊勢の三大餅と馬の耳

赤福」は誰でも知っていますね。
旧参道沿いの赤福茶屋(本店)では、熱いお茶とともに盆と呼ばれる小皿に乗った赤福が食べれます。
なめらかなこしあんが最高の口当たりで美味しいです。

なんかいつの間にか盆の上の赤福餅が三個→二個になっていて残念!

二軒茶屋餅」はご存じですか? つい最近まであまり知られていませんでした。
かつて、尾張・三河・遠江など東方面から伊勢神宮への参宮客は、伊勢湾を船で来るのが近道でした。(今でも静岡・東京方面から来るにはフェリーが近道です)
このお餅は、伊勢神宮へ参拝する舟参宮の港であった舟着場の近くにあった茶屋で出されたのが始まりらしいです。
茶屋は二軒あったらしい、なので二軒茶屋
(余談:私の住む近くに三軒茶屋と呼ばれる地区があり、同じく三軒の茶屋があったそうです)

あんの入ったうす皮のお餅にきな粉をまぶしてありとても上品な味で美味しいです。

へんば餅」、こちらは伊勢市でなく隣町の小俣町(おばたちょう)にあります。【と思ったら小俣町は伊勢市になっちゃっていました、ごめんなさい】
きめ細かい新粉を蒸して作った団子皮の中にこしあんを包んで、こんがりついた焼き目が味に変化をつけています。
団子皮に厚みがあり他の餅菓子よりボリューム感があります。
このお餅も旧参宮街道沿いの、お伊勢さんから少し離れた場所にあったので知られるのは遅かったです。
「へんば」のいわれは「返馬」だそうで、もっと知りたい方はGoogleしてみてくださいね。
私が初めて行った頃は本当に田舎のお餅屋という感じで、地元の方だと思います「お米」を持って来てお餅をもらって帰る「物々交換」のシステムがあり本当にびっくりしました。

【おまけ】
良く牛の舌と呼ばれる「なが餅」は伊勢から離れて四日市の名物です。
東海道と伊勢街道の分かれ道、日永(ひなが)追分が発祥とか。 日永追分は実際には四日市宿と石薬師宿(いしやくし)の中間付近にあります。
「日永追分」は東海道と伊勢参宮街道の分岐点にあたり、江戸時代に大流行したお伊勢さんへの「おかげ参り」の頃は、松阪に住む本居宣長の記録では1日に2~3千人が松阪を通り、最高は1日23万人だったそうです。
こんなに多くの人が通るのですから、茶屋が出来るのは当然ですね。 追分とは旅の大きな目標点でもありますから。
四日市宿の「なが餅」、隣の神戸宿(かんべ)の「立石餅」、もう一つ桑名宿の「安永餅」と、同じ形状を持った餅が四日市宿の両側にあるのも面白いですね。
どちらの餅ががどうこうと判断するのは不必要ですが、良く似た形状のお菓子が隣同士の宿場にあるというのも面白いですね。
「なが餅」は、餡を包み、細長くのばした餅を火で炙ったものです、おいしいです。
でも日持ちがしないというか、翌日には硬くなって食感が失われます。 いただいたら早く食べなくては。

【おまけ2】
伊勢志摩ユースホステルの所在地は三重県志摩市磯部町(旧・志摩郡磯部町)ですが、この磯部町には伊勢神宮・内宮(皇大神宮)の別宮として「伊雑宮(いざわのみや)」が鎮座されています。

謂れとして『伊雑宮(「いぞうぐう」とも呼ばれます)は、天照大御神の御魂をお祀りし古くから「遙宮(とおのみや)」として崇敬を集め、地元の人々によって海の幸、山の幸の豊饒(ほうじょう)が祈られてきました。
毎年6月24日(6月月次祭当日)に行われる御田植式は、とても雅な神事で、「磯部の御神田(おみた)」の名で国の重要無形民俗文化財に登録され、日本三大田植祭の一つとされます。』  日本三大御田植祭は「伊雑宮」「香取神宮」「住吉大社」で執り行われています。
 御田植式
この御田植式の最初に竹取神事が行われるのですが、この竹取神事の終わりに、近郷漁村の青年たちが下帯姿になって竹の奪い合いを行い、その竹を持ち帰って船霊に祭り大漁満足、海上安全のお守りにする信仰がありました。
 竹取神事
竹(笹)の代わりに餅を竹の形にし、笹を取れなかった(けんか祭りのようなものですから一般人は参加できない)近隣住民に「笹餅}として配ったものが根付きました。
その後「笹餅」は「さわ餅」と名を変えながら磯部町の名物餅として評判になりました。 

別の流れとして三重県松阪市には、沢の水を使った餅であることから「さわ餅」として名付けられ、販売されているものもありますが、
ほぼ同じ形状と味わいで、磯部の物と松坂の物での違いは大小の違いくらいしかありません。
松阪の「さわ餅」の方がボリュームがあって空きっ腹には嬉しかったな。

【おまけのおまけ(動画)】

【おまけのおまけのおまけ】
三重県における名物餅の歴史を詳しく知りたい方は「三重県の名物餅」を見てください。

 

【おまけの4乗】北海道地域限定の話題です。ごめんなさい)
上に三重県北勢地区(四日市を中心とした地区)のお菓子として「牛の舌と呼ばれるなが餅」を紹介しましたが、北海道では・・・

子供の頃、時々「馬の耳」と呼ばれるお菓子をいただきました。
別名を「中華まんじゅう」、さらなる別名を「葬式まんじゅう」と呼ばれていました。
 切っていないほうは「馬の耳」に見えるでしょ

子供心に「葬式まんじゅう」なるネーミングが不気味でありましたが・・・あまりのうまさに、ついつい手が出てしまうのです。
「葬式まんじゅう」と呼ばれるように、葬儀の際の供物として使われ参列していただいた方に、お土産として配っていたと思います。
なのでそんなに手に入るわけではありませんでしたが、時折食べるチャンスがあると飛び上がって喜んだものです。
大判どら焼きの1枚だけにアンを入れ、半折にしたような形状です。 生地はどら焼きよりしっとりとしたものになります。
そして北海道ですもの・・・大きいよ  北海道では大きい事や大盛は良い事、正義なんです・・・
おはぎだって子供の握りこぶしのような物は、馬鹿にされます。 やはり大人の男性の握りこぶし以上なくてはおはぎとは呼べない・・・
動画で見てください。 大きいでしょ!


ところで「馬の耳」、あの呼び名はどうしてしまったのでしょう。 
今は全く使われない言葉になってしまったようです、馬の耳でGoogleしても全く出て来ません。 
出なくてもいいのですが、それはそれで何となく喉の奥に引っかかった骨のような感じで・・・
形と言い色と言い、馬の耳そのものだったように思っているので「馬の耳」言い得て妙、と思うのですが。

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