ホステリングバス

「はじめに」に書いたように、1970年国鉄のディスカバージャパン・キャンペーンやアンアン・ノンノ誌の発刊から始まった大旅行ブームは老いも若きも・・そしてウーマンリブの台頭とともに若い女性たちも自由に旅行する機運が高まってきました。
でもインターネットなど無いその頃、北海道を旅する場合(北海道だけではないけど、特に・・)自分で時刻表とにらめっこしながら一つ一つ場所、経路、宿泊地を決めなくてはいけないのでした。
ところが北海道は広く、時刻表にしても北海道専用のものがあるほどで、交通公社の大型時刻表(その頃はこれ一択)に出ていない路線もあり、旅好きでなければなかなか難易度の高いもので、携帯電話も無い時代、結構な冒険旅行でした。

時刻表 北海道時刻表。

 

あなた
国内旅行なのにそんなに大変だったんですか?

元リーダー
そうなんだ。 ユースホステルは地方の田舎町に多くあったため、大型時刻表から地方のバス路線を探すのがとても
大変だったんだよ。 近隣のバス停から歩いて2時間なんていうところもあったくらいだし・・
前日泊まったユースホステルで情報交換してから出かけるか、現地に行ってみるしかないとか、不確実な要素も多かった。
今のようにインターネットで各地方のバス会社の時刻表が見れるなんて夢・・夢じゃ
まぁ、この情報交換の場が多くの友人を作り、ミーティングを通じて一体感を形成し、その頃の若者の心の底にあった
連帯感を生んでいたんだ。 今の若い人は一人ぼっちが好きだから感覚が合わないかもね。
あなた
宿はユースホステルしかなかったのですか?
元リーダー
旅館やホテルも選べたよ。 ただし駅前の旅人宿にしてもヤングから見れば高かった。
ホテルも国際観光旅館とかの看板を上げ、高かった。 ビジネスホテルは少なかったしね。
それと旅館は女性の一人旅を嫌っていたんだ。 自殺願望があるとかの都市伝説のようなものによって。 今じや笑い話。
ユースホステルに泊まる一番の理由は安かったことはもちろんだが、前に言った情報交換の場だね。
男も女の子も好みの異性だと途中までご一緒に・・・なんてパターンもあったりして(笑)
旅先でカップルが出来て結婚にゴールインなんて話もよく聞きましたよ。
そうは言ってもユースホステルだから男女別宿泊でアルコールも禁止だったから、安心は安心。 ご安全にというわけ。
そういう情報は結構早い時期からNHKドラマ「太陽の丘」や新聞などで浸透していたので【ユースホステルに泊まります】
という言葉は若い女性が旅行する際の親御さんに対する魔法の呪文みたいだったのかも。

そんな時、北海道ユースホステル協会はユースホステル(以下YH)を使った旅を提案し、安心・安全・安価といわれるYHを使ったバス旅行を計画したのです。 なんと11泊12日という大旅行。(開催年によって期間は異なりましたが)
しかも公共交通機関で行けない場所まで連れて行ってくれるうえ、観光施設の料金も含まれさらに三食付いてんだから大うけでした。
【ユースの食事でしたから内容は大したことないけど、おなか一杯食べれました(ご飯・みそ汁だけだけはお代わり自由だったし・・)】
自分でプラン作るより半分以上安く、半分以下の時間で周遊できる旅だったのです。

当初、夏のバスだけでしたが次第にスキーバス・花バス・秋バスと増えていきました。
ここでは夏バス・春バス・秋バスのパンフレットを紹介します。





私は学生でしたので春・秋のバスには乗れませんでした。
パンフレットはありませんがスキーバスもありました。
スキーバスにもリーダーとして乗ったはずですが記憶が薄い。 
思い出せるのは真狩付近を走行中、明るい中での地吹雪状態だったので運転手さんが黄色いサングラスを出してかけたこと、かなぁ (道路が良く見えると話していました・・・)
あとチセハウスでサブペアレントだった「もっちゃん」(森さんだったと思います)が作ってくれたニセコの粉雪のアイスクリーム、もありました。
オロフレYHでプロスキーヤーの前田光彦さんのレッスンが、チセハウスYHではSAJ指導員の織笠巌さんがレッスンをしてくれたと・・・

ナウなヤングたちの集まった、その旅とは・・・
さぁ、ヤングたち。  GO!GO!

当時よく流れていた曲・私たちの時代に近い当時の札幌の風景も見てください。

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