南回り14回 第7日目 8月13日(日)


雨も上がっているし、さあ出発。

松山千春の生家がある足寄を抜け、コロボックル伝説の大型のフキの葉が茂る阿寒酷道(非舗装国道の、その頃のごく普通の呼び方)を通りオンネトーへ到着。
このあたりはオンネトーを含めみんな足寄町管内なんです  


松山千春のデビューは私たちが行った後でしたが、彼と足寄町に敬意を表して・・・

オンネトーでは途中下車し、湖口までハイキング。
ついつい「チンチラカンチラ 仕事をさぼり ボッケ(適当に地名を入れて替え歌にします)にゆけば めんこいネェちゃんが チラリとにらむ なにくそ 熊彫さ 男の仁義だよ 花を摘みつつ 遊べ遊べ」 などと鼻歌が出ます。

ちょいと脱線しますがバスの中では「仲よし小道」と「赤い帽子白い帽子」を重唱で歌ってもらいましたね。


最初にそれぞれの歌を歌って練習します。
さて本番・・・あれ?なんか最後はおんなじ歌うたってたっけ? です・・・
バスに乗っている気分で歌ってみてくださいね・・youtubeのどちらかの歌を再生し、あなたはもう一つの歌をどうぞ・・

さてさて、戻ってと
本当に美しいオンネトーの風景です。 北回りコースのように向うに聳える雌阿寒岳に登りたかったなぁ。

なぁ~になに、南回りは積丹ブルーの積丹半島を見れたじゃないですか、あれはあれで100点です。

お昼ご飯は町立阿寒YHです。 何食べたか憶えていないけど・・・
  阿寒湖遠景

みんな余計なお土産は買わずにベカンペの実(ひしの実)を拾うなど賢いですね。
阿寒湖と言えば「まりも」、お土産と言えばビンに入ったミニまりもとかあります。
私がまりものお土産と言えば「まりもようかん」
つまようじでプッチン、グニューッと一気に剥ける快感。

ここである方から「ビッキ」のお土産の話がありました。 詳しくは「音威子府」のページで確認して下さい。

阿寒横断道路の途中、双湖台でペンケトー・パンケトーを見納め、双岳台で雄阿寒・雌阿寒の両峰とお別れし、弟子屈へ向かいます。

弟子屈駅(現・摩周駅)を通り過ぎると摩周湖へ直線道路で一気に登る摩周国道を走ります。
途中左手に開所したばかりの「摩周湖ユースホステル」が見えます。

ほぼ上り詰めたと思ったところが「摩周湖第1展望台」です。
今回は完全な晴れ、良かったです。(コース的にはもう一回チャレンジが組まれていますが今回でOKですね)
良く晴れましたでしょ・・ 

当時、摩周湖には前述の第1展望台と第3展望台と二つの展望台が供用されていました。
第2展望台が抜けていますが、計画はあったものの摩周カルデラ外輪山の細い稜線の上に計画したため工事的に頓挫し幻の展望台になってしまいました。
今でこそ立派な「裏摩周展望台」が設置されていますが、私たちの頃は「裏摩周展望台」は知る人ぞ知る辺境の展望台でした。(バスは今も昔もありません)
バスとは違う日に私も行きましたけど、背丈を超える笹薮をわずかなふみ跡を頼り歩み、熊の生息地でもある事だけに風に揺れる笹の葉音にも恐れる、おっかなびっくりの訪問でした。
湖を見、摩周岳を左に見る「第1展望台」と真逆の風景を見たとたん車に駆け戻ったのは言うまでもありません。(笑) 今でこそ笑い話ですが、当時は真剣
いやいや、今でも十分気を付けてください。

第1・第3の摩周湖展望台から見るのはもちろん摩周湖ですが、道路が稜線(尾根)の上に作られていますので反対側の素晴らしい景観も見れました。
皆さんにもお知らせしましたがおぼえていますか?
特に第3展望台は摩周カルデラの一番高い所にあるので、反対側にある屈斜路カルデラを一望することができるのです。
日本百名山の一つ斜里岳の美しい山容とともに、これから行く(10日目)硫黄山や屈斜路湖など、雄大な景色は忘れられない思い出を残してくれました。

摩周湖うんちく
1:摩周岳
第1展望台、第3展望台、裏摩周展望台の三つの展望台をお知らせしましたが、実はもう一つあります。
湖の向こう側に見える摩周岳に登れるのです。
第1展望台から、摩周岳(カムイヌプリ)への登山道に入ります。(要入山届)
距離的には片道7キロ程度の行って帰るピストンコースですが、あまり高低差がなく「楽々」に分類されるコースです。
さらに無理して山頂まで行かずとも、途中までで充分素晴らしい眺望を堪能できるるのです。
でも霧の時は行かないようにしましょう。
摩周湖に流れ込む海霧はこのコースを横切るため周囲が全く見えなくなり急峻な稜線から落ちるかも。
2:湖or水たまり
摩周湖は流れ込む川も流れ出す川もない閉塞した湖で、いわゆる河川法という法律ては湖ではないという定義です。
大きな水たまりなんでしょうか? でも、なんかそれじゃあ嫌だなぁ 「摩周水たまり」より「摩周」がいいです
また年間を通して湖水の水量変化が少ないので、どっかに漏れ出ているという事ですが私には良く分かりません。
学者先生の論文を参照してくださいね。
3:霧の摩周湖
皆さんは摩周湖に何を求めますか?
霧ですか?水面ばっちりの晴天でしょうか?
「晴れた摩周湖を見ると婚期が遅れるとか」ともガイドさん言ってましたね。 それはヤバい!
そんな話もありますが、他の摩周湖に行った方に聞いてみてください。
ほとんどの方が「晴れていたか、雲はあったけど水面は見えたよ」というのではないでしょうか。
イメージ的に摩周湖では霧が代名詞のようになっているのにです。
第Ⅰ展望台から湖面が見えた日を調べてみると、おおむね年間を通して8割程度の日で湖面が見えるているそうです。
確かに観光シーズン真っ盛りの7月8月は霧の日も多くありますが・・・
なぜ夏?三陸沖の海で黒潮と親潮がぶつかる事により海霧となり、この霧が内陸へ流れ込み摩周湖にまで達するのです。
それまで晴れていた摩周湖なのに霧が入り込み始めると小1時間で湖面が見えなくなってしまうのです。
NHKスペシャルで記録が放映されたのですが、海岸から数十キロもの距離を入り込み外輪山を超えて流れ込む滝霧の美しさに驚いたものです。
今思う!  私の結婚が遅かったのは・(晴れた摩周湖を見続けていた)・そういうことだったのか!!!
4:してはいけない事
そもそも摩周湖の湖岸は急峻な崖になっており容易に行ける場所ではありません。
国立公園の特別保護地区である摩周湖湖岸へ降りることは法律の上からも出来ませんよ。
私たちが行った頃はまだ湖岸に下りる道があったのですが(どこかは教えられませんが)、今は完全に廃道となり命を懸けていくしかないようです。
そして湖岸から上がったら警察官が「お疲れ様」と迎えてくれると思いますので、止めましょう。

摩周湖から今夜の宿「養老牛青年の家」に向かうのですが、ここからのコースが記憶に無いのです。
普通に考えれば今来た道を戻り弟子屈から標茶町、中標津町に入り養老牛温泉地区にある養老牛青年の家に行くのが普通かなとは思います。
でも摩周湖第3展望台から緑方面に下り、新しく開通した緑から中標津へ抜ける道を通ったのかもしれません。
それと当時はどちらの道を行っても非舗装であったでしょうから。

養老牛ですが普通には「ようろううし」が読みなのでしょうが、中標津にいた私の親戚は「ようろうし」と呼んでいたと思います。
養老牛温泉はアイヌ人が発見した秘湯で、かの北海道の名付け親と言われる松浦武四郎による紀行文の中で「近隣のアイヌは総じて是に湯治する」と書いています。
養老牛温泉の泉質は硫酸塩泉で源泉温度は約80度だそうです。 確かに熱いお湯だったように思います。
そんな養老牛温泉の「養老牛青年の家」ですが、何せ人が来ない。 ゆえに1985(昭和60)閉館、開館後20年の短い営業でした。
いい温泉のいい宿だったと思います。
意外かもしれませんが、養老牛温泉は良く映画のロケに使われ
「男はつらいよ~夜霧にむせぶ寅次郎(1984)」 ⇒ とか
⇦「釣りバカ日誌20 ファイナル」(2009)が有名です。

寅さんの映画では最寄り駅の計根別(けねべつ)駅や養老牛青年の家もちらっと出ていましたよ。
それでも観光客は増えなかったようですね。

さて、ゆっくり温泉に入って寝ましょう

 1968年(昭和43年)7月開所
バスの本数が少ないと書いてありますが朝・昼・夕の3往復だけでした

今日の宿泊スタンプ・・ペタ! 

コメント

  1. 3あほ より:

    たしかに「国立公園」ですし、急峻な崖を降りていくは危険ですから、
    摩周湖に降りてはいけない…のですが、うちらは1984年のまだ規制が厳しくない頃、
    まだ清札町民?が時々降りてるって情報を聞いて、緑から18㎞行った展望台の売店の人に聞いたら、
    「行け!(神様か主か幽霊?に)会ってこい」と言われ、湖面に降りて泳いできました。
    「少し岸から離れると足引っ張られるよ」と言われましたが、ホントに引っ張られました。
    たぶん、水面温度と2mくらいの水温がめっちゃ温度差があって、それで足がひきつけ起こす…
    ってのが真相のようですが、裏摩周の売店のじいちゃん(故人)の話は「霊が引きずる」とか
    いわれてたんで、マジコワかったです。
    ちなみに、現在は「根室沖」「東方沖」の地震で崩れてしまい、北見工大の調査団など一部以外は
    立ち入り禁止になってます。
    ・・・帰りは売店さんの車で緑まで送ってもらいましたはじめっち&ゆたか

    あたいはむずかしいことはよくわかんないけんども、「からまつの湯」(露天)にはよく行ってたんで、その時に、少し奥の青年の家を探検したことはあるのだ。
    養老牛温泉街も「青年の家」はもちろん、「花山荘」も「藤屋」も「H養老牛」もなくなって、寂しくなっているようなのだ。
    ・・・「青年の家」も「塩狩温泉」のようにもう倒壊してるかもなのだつるみん