私のちっちゃな初恋って、昔のことで忘れました・・・theEND!
では話がつながりませんね
初恋といっても青年になってから・・・のこと、だよ
ユースホステルに興味を持ってから、何かの資料で北海道で最初に決まったユースホステルに丸駒温泉の名前があることを見かけました。
(道内には5施設あったそうです)
え?丸駒温泉? 叔父に連れられて何度か行った事のある場所です。 (初めて行ったのは昭和40年代初めころ?) 左の写真には昭和47年頃だと書いてありました
それにしても、なぜ叔父はわざわざ私を丸駒温泉に連れて行ったのか? 当時は札幌市内から遠かったのです。
今のように札幌市街から直接行けなかったため、千歳周りで支笏湖に行き、さらに支笏湖湖畔から船に乗って行く温泉ですから・・・
湖畔から船でしか行けない場所にありましたし、40分から1時間ぐらい船に乗るんです。
支笏湖の水の美しいことと言ったら比較のしようがないほどです。
船に乗って水面を見るとそのまま吸い込まれるような美しさというか、怖さすら感じてしまいます。
【湖の透明度では日本で3番目になっています。(2007年度理科年表)】
逆に今のように、湖畔を車で行くだけでは支笏湖の本当の水のきれいさはわからないでしょう。
日本で2番目の深さのカルデラ湖だけに、船が湖畔を出たとたん湖水は紺色となり黒さを増して行きます。
昔からこの湖で溺れると亡骸は上がらないとも叔父に聞かされていたので、怖さはひとしおです。
泳げない私は(25mプールなら何とかなるけど)救命胴衣置き場の近くで「早く着かないかなぁ」と心細く思っていたものです。
右のチケットは関西乗車券研究会さんのブログからお借りしました。
叔父が話した事は、私の祖父が丸駒温泉開祖の佐々木初太郎翁と親戚だったとか友人だったとか・・・ (たぶん友人説が強い)
でも・その頃の私には興味の対象外だったので、はっきり覚えていません。
私の祖父は札幌に住んでいて、名前を佐々木金四郎といいましたが、佐々木繋がりで何か関係があるのでしょうか・・・
『なんか母からはもっと家族的でディープな話も聞いていますが、ここでは止めます』
今、すでに叔父はいないので今ではどのような関係だったのか改めて知る由もありません。
1967年(昭和37年)1972年札幌オリンピックの恵庭岳で行われる「滑降競技」へのアクセス道路を見据えた形で支笏湖畔有料道路が開通しました。
丸駒までの開通日は不明ですが。湖畔のポロピナイから丸駒温泉まで車で直接行けるようになりました。 とても便利になりました。
その後「支笏湖観光船」は、湖畔から遊覧するだけの船になってしまいました。
丸駒には何回か行ったもののユースホステルなんて看板は見たことはありませんし、それらしい旅人も見たことがありません。
手もとの資料を見てもYHとしては昭和30年5月から同年6月までの契約となっていますし、同じ年の7月には支笏湖YHが開館しています。
【ここで言う支笏湖YHは(現存の三角屋根のYHの建物とは違います)旧支笏湖小学校校舎です】 ⇒北回りコース・9日目に少し詳し目に書いてあります。
丸駒温泉YHは何かのワンポイントだったのか?自然災害の影響?でもあったのでしょうか。
時も過ぎ・・・昭和45年の夏の終りに再び、今度は数年前に開通した支笏湖畔有料道路を使って車での訪問です。
【今からお話しする事は1970年・昭和45年の夏の事で、その年の春万博に行く事となりYHと接点はありましたが(宇多野YH)、
まだYHが何だかよくわからない頃の話です。丸駒に行ったあとホスバスに乗りYHに目覚めていきます】
建物はすっかり大きく立派になり(上の昭和47年の写真を見てください)、玄関先までバスで行けるようになっていました。
でも湖スレスレに作られた露天温泉は健在で、のんびりした温泉旅館とした風情は健在でした。
湖畔からの通船も、桟橋もまだ残っていて、昔からの風情は十分感じることが出来ていました。
上にある全景写真の、右の建物が昔からある旅館(旧館?)
今でもその時なぜ丸駒まで行ったのか、金のない私がなぜ宿泊したのか良くわからないのです・・・
きっと伯父に行くと話をした時、金の事は安くしてもらうよう話しておくからとでも言ってくれたのでしょうか?
いくらお支払したかは覚えていませんが、他のお客様に宿の案内とかフロントとか、お手伝いしたことは記憶しています。
(なんか、すでにヘルパーの様な仕事を始めていますね・・・ そんな根があったのでしょうか)
朝のお手伝いが終わって、お昼ごろ湖に向かって突き出した桟橋に坐し、しばし瞑想、いや黙想、いや単にウトウト、していると
「いいところですね」と声をかけられました。
【支笏湖と風不死岳・丸駒温泉HPより】
「えぇ、いいですよね~」なんて生意気な生返事をしながら声の主を見ると・・・ ・・俗にいう一目惚れですな。
―※$§#%&%@⁂⁑⊛#$%=― (気持ちが盛り上がっちゃって・・・って意味ネ)
いや~まいりました。 赤と白色の月寒営業所のKさんです。
―※$§#%&%@⁂⁑⊛#$%=― (途中いろいろあったことは省略・・・って意味ネ)
彼女から「さようなら」のお手紙が来ました。(どれぐらいたってとは言えませんが) 青春のはかない恋物語の終焉さ!
今は手元に残っていませんが、書き出しは覚えています。
「望来の浜に来ています。 ラジオから「さすらい人の子守歌」が流れています。
浜では子供たちが水遊びをしているところです。・・・・・・・・・・・・・・・」
と始まっていました。
何回も何回も何回も何回も何回も何回も読み返しました・・・
そんなわけで、私の中で「さすらい人の子守歌」は禁じ歌なんですが・聞かずには入れない。 (オレって・バカだなぁ)
旅に疲れた若い二人に・・なのか、恋に疲れた二人に・・なのか、わかりませんが・・ 手も握らずに別れた、悲しい思いは
支笏湖の湖底深くに今も眠っているのでしょう 丸駒温泉の甘く切なく、そしてほろ苦い思い出でした。
十勝・・からの帰り、列車の後ろに見える峠の線路はどこまでもどこまでもまっすぐ遠ざかり、 上り続けて行く列車に月まで行ってしまえばいいのにと
思い続けた私でした・・・ (意味不明の文でしょ、でもこの文には深い意味があるの・・・私だけの)
でもいいんだ、私にはホスバスで出会ったステキな友達がいるから。
会うことはないけど、ずっとずっと心の友達です。 本当に今でもそう思っています、そうでなければブログ作らないし・・・ネ
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そういえば丸駒温泉の露天温泉のすぐ横に救命浮き輪があったと思うのです。 カポック製の赤白の物だったように思います。
なんでかなぁ~と思って、おばあさんに聞いたところ「丸駒の露天風呂は湖の水位と温泉の水位が同期するため、湖の水位が上がると露天温泉の湯舟の中でも
背が立たなくなる水位になって、溺れそうになる人がいるから」と教えてくれたように思います。
今でも温泉と救命浮き輪「すごい違和感があったなぁ」と思っているのですが思い違いでしょうか?
丸駒温泉の歴史を描いた「丸駒温泉のホームページ」
【そんな・こんな】
いろいろな思いの残る丸駒温泉でしたが、コロナウイルスによる宿泊者激減で民事再生法の適用を申請することになってしまいました。(2021年8月30日)
すでに外部資本から支援を受ける事になっているようですから、今日明日どうと言うことはないでしょうが気になるところではあります。
昔からの趣を残した温泉宿であってほしいと思います。
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