北回り12回 第9日目 7月29日(土)


えりも岬YH名物の、チョー派手な見送りを受け出発です。
ヘルパーのみなさん、屋根の上にまで上がって大漁旗を振り回すのでこちらが心配になるほどです・・
 どなたかのHPからお借りしました、お名前を忘れてしまいましたゴメンなさい。

こちらはこちらでバスの窓にすずなりになって手を振ります。 あ~青春だ~ 「青春とはなんだ」・「これが青春だ!」なんて・・・
青春テレビ、GO!GO!


えりも岬からは日高海岸沿いに走ります。
この日高路は冬でも割と温暖な気候であり(北海道の中では)、海風によりミネラル分の豊富な牧草が取れることから牧場、それも馬牧場が多く集まります。
海は黒潮の影響もあり日高昆布が取れます。 日高昆布は万能昆布といわれていますね。

私が学生時代、友人の何人かが昆布取りのバイトに来ていましたが、仕事はとても大変だと言ってました。 楽な仕事だと思ったらしいです。(甘い!)
さらにこの付近は霧が多いため、えりも岬の灯台の霧笛(むてき)は毎日のように鳴らされていて、バイトの連中は牛の鳴き声のように聞こえる
(ブゥオーーー)霧笛にも、寝れないと言って苦しめられたようでした。
えりも岬灯台からかなり離れた場所だったのに聞こえるんだ。
また霧笛は近くで聞くと(あまり近いと鼓膜が破ける程の音圧です)単なるブザー音のように(ブーーーー)と聞こえるのに、
離れると(ブゥオーーー)のように低音が強調されるのも不思議ですね。
一般的に200~800Hzの周波数が遠くまで届くので使われているようです。

下の写真は襟裳岬の霧笛装置です。(何代目かはわからない、昔のはラッパ型だったはず)
霧笛の前には「霧や雪によって視界が悪くなると、自動的に霧笛が鳴ります。 とても大きな音なので注意して下さい。」と書かれていました。
 写真は「北海道のいいとこどり」さんから借用
襟裳岬灯台そのものは現役ですが、霧笛は2010年度で使用が終わったそうです。 ご苦労様でした。

ちょっと霧笛の音聞いてみたいでしょ。 動画は襟裳でなく小樽日和山霧信号所ですが


今は小さな船でもGPSが装着されていて、安全航海が出来るので霧笛の存在意義はもう無いのだな・と思っていたら、近年は洋上に浮かんで建てられたブイ型の孤立障害標識灯台や風力発電装置(船)にぶつかる事故があるためそれらにつけられることもあるようです。 へぇ~ですね。

進行方向左手はずーっと太平洋の茫漠たる風景が続きます。 右手方向は日高の山塊が続いています。
日高の山並みはいまだ人の手の入ることを拒み、太古からの自然を感じられる場所です。
自然の脅威が大きいだけに、山での遭難はたちまち生命の危機を脅かすものとなり、今でも多くの山人が亡くなる事故が途絶えません。
安田由美子さんの書かれた「 右手に見えますのは・・・」にも書かれていますが、壮絶な遭難悲話には胸がいっぱいになります。!
私も山が好きなだけに(だっただけに?)悲しい思いを山で作ってほしくないと思っています。

最近は簡単な観光ツアーとして商品化された登山ツアーがありますが、大雪山系の凍死事故など真夏(2009年7月16日:8名死亡)に起きています。
私たちも7日目に雌阿寒岳に上りましたが晴れた夏の日でも10度以下でした、雨が降って風が吹けが体感は0度以下になります。
北海度の自然の厳しさを思いつつ皆さんの身の上にこうした事故がないように祈ります。

バス進みは大狩部駅を過ぎると高台にある「トド岩ドライブイン」に寄ります。 お昼ご飯をここで食べたのかなぁ、はっきり記憶にないもので・・・
【トドとは・・ 皆さん覚えていますよね。 海馬とも呼ばれる巨大な海獣で大きい個体は1トンにもなります。 トドの集まる岩礁:トド岩】
このドライブインには観光牧場があり乗馬体験もできます。 何人か馬に乗ったようですが、トロトロとコース内を歩くだけですので馬に乗った感想は
『高かった』(馬の背か?費用が?か不明)ぐらいしかなかったようです。
「トド岩ドライブイン」は海岸段丘にあるため海に向かって結構深い谷があり、白い吊り橋がかかっていました。 (おおよそ標高60mくらい)
2日目に行った神居古潭の大きな吊り橋と違って小さなものなので歩くだけで大きく揺れちょっとうれしい。
なんかなぁ~若いというかおバカな私でした。 吊り橋ネタ2発目、ごめんなさい。

海岸段丘の上から海を見下ろすと少し離れたとことに岩場があります。 ⇒ここが「トド岩です」 
昔からトドが集まるのでトド岩と呼ばれていました、
トドは海産物を大量に食するので漁師らからは嫌われ、その上なぜかこのトド岩に大量にやってきて被害が無視できなくなり駆除することになりました。
が・そのやり方が・・・ 1959(昭和34年)5月の事件?

左はトド岩のトド、右は「一斉射撃はじめー」と言ったか言わないか知らないが自衛隊の機関砲群

成果は北海道新聞によると・・・
戦果は一頭だけ 新冠町のトド退治
【静内発】二十七日演習中止となった陸上自衛隊北部方面第一特科団による新冠郡新冠村大狩部沖合のトド退治は、
二十八日引き続いて射撃体勢に入った。
この日は早朝からトド岩に一頭が巨体を現し、午前十一時四十分に機関砲六門、M54重機関銃八基、十二・五㍉重機関銃十六丁が十秒間一斉射撃。
目標のトドは命中弾を浴びて水煙をあげて海中に没した。 結局戦果はこの一頭だけで正午演習を終わった。
実はその直前3月には
豪快な機銃掃射 トド退治始まる
【静内発】新冠郡新冠村字節婦沖合千㍍のトド岩に群れる”海のギャング”トドに対する航空自衛隊第二航空団の
ジェット機による掃とう演習は二十六日午後一時半から開始、約三十分にわたりF86Fジェット機二機が三回にわたり豪快な急降下機銃掃射を行った。
という話がありました。 成果については書かれていません・・
う~ん・・・・・
その2年後「海馬供養記念碑」が射撃地点近くに建てられたとかう~ん・・・・・う~ん・・・・・

「膽振國苫小牧ヨリ鵡川、日高國浦河、十勝國廣尾ヲ經テ帶廣ニ至ル鐵道」として日高と十勝を結ぶ鉄道線路が計画されていましたが(昔々のお話ね)
結局、東海岸側の整備がかなわず未成線に終わってしまいました。 出来ていればホステリングの旅も便利だったと思う。
出来ていれば日高と十勝を結ぶので日勝本線て書かれています・・・
この襟裳岬近辺の地域では自然災害が繰り返され、決定的だったのは2015年1月の暴風雪による被災です。
日高本線の鉄道施設が大きく破壊されたことで、ついに日高本線の鵡川・様似間の廃止が決まりました。 残念!
 線路路盤が流されたが誰も直す気の無い線路

明日白老のアイヌ集落へ寄りますが、走っている日高路もアイヌの話を抜きには通り過ぎれないような歴史があります。
特に「シャクシャイン」の話については、伝説でなく実話でもあり悲惨かつ和人の思い上がりを感じ悲しくなります。
日本の南北端、蝦夷と琉球で同じような過去があることに驚きます。
そして太平洋戦争の終了時に、沖縄同様に悲惨な歴史を持つ樺太や千島の島民の受けた迫害など北方領土の話にも目を向けていただけないでしょうか。
「一北海道人として。」


日高の山並みを抜け、原野が広がってくると苫小牧です。
苫小牧東側のいわゆる苫東開発はこの年に始まったばかりのため、まだのんびりした原野が広がります。
右手には野鳥の楽園ウトナイ湖があります。 遠くに見えていた大きな煙突が近づくと苫小牧の町です。
煙突は王子製紙の工場で、当時は結構臭いがありました。

私が会社に入って最初の赴任地は四日市でしたが、当時は臭いがきつく名古屋から電車に乗って四日市へ近づくと、外を見なくても四日市に来たなとわかるほどでした・・・関係ない話で、すみません。
その王子製紙苫小牧工場で工場見学をさせてもらいました・・・したはず・・・なんですが記憶から抜け落ちています。スミマセン
苫小牧からは国道36号線経由(千歳経由)でなく、支笏湖通(苫小牧から千歳を経由しないで支笏湖へ行ける道です)を通って湖畔へ向かいます。
この道沿いには王子製紙が支笏湖の水利を利用した発電所を作ったり湖畔の木材を輸送するための専用軌道(私用の鉄道)があり、ほとんど線路跡と併走のため鉄道ファンにはたまらない道だったんです。

上の写真は支笏湖湖口にあって、当時から専用軌道で使われていた鉄橋です。
現在は日本の近代化産業遺産となっていますが、今も歩道橋として使われています。

この先にモーラップキャンプ場があるのですが、急峻なモーラップ山があり湖沿いには道がありません。
山道を抜けて行くのですが今も行けるんでしょうか。
毎日バスの中で歌っていた「モーラップの恋」はこのモーラップが舞台です。
歌詞は
「みどりの森に つづく道
 木の間がくれに たそがれる
 白い白い みずうみだけが
 やさしい心 くれたから
 そのやさしさに ないてみたくて
 一人で来たの ああ モーラップ 」
でしたね・・・
あ、ちなみに作者不詳となっています。
下の写真がモーラップキャンプ場です。

右の山は風不死岳、左の山に見えるプリンの頭だけのような溶岩ドームを載せているのが樽前山。

支笏湖は透明度の非常に高い湖の一つです。 日本国内3番目の透明度です(17.5m)。
透明度1番は摩周湖、2番目はこれから行くクッタラ湖となっています。
摩周湖は湖畔まで行けませんが、支笏湖はボートにも乗れますので透明度を実感できます。
本当にきれいですが、深い場所では緑から深い青に変わり恐ろしさを感じます。
ここから見える正面の山が、札幌オリンピックの時の滑降コースが作られた恵庭岳です。
そして矢印の向こう側に、北海道三秘湖の一つオコタンペ湖がありますが、行きません(行けません)。
動画で行った気分だけでもどうぞ

今夜の宿は支笏湖YHです。 支笏湖YHも宿泊者の非常に多いYHでした。
支笏湖YHは北海道近代化建築の先駆者であった「田上義也」氏が設計したモダンな建築物で、日本ユースホステル協会直営第1号でもありました。
この後のYH建築はこの急こう配の三角屋根を取り入れた形が多かったですね。

ちなみに3日目に泊まった美幌YHも「田上義也」氏の設計で、YH協会直営第3号です。
夕ご飯は支笏湖YH恒例のジンギスカンです。 おなか一杯ジンギスカンを食べましたね。
なんか良く分からないけどキャンプファイヤーもやりました、花火も・・・

久しぶりの観光地での宿泊ですから、みんな少し都会の雰囲気を取り戻す事ができたようです。

でも、あとみんなと何日一緒にいれるんだろう・・・

 昭和30年7月開所

今日の宿泊スタンプ・・ペタ! 

【追記:2021.6.20】
そんな支笏湖YHですが2021年3月末をもって閉館となりました。 寂しいですし、くやしいですね。
STV(札幌テレビ)のニュース番組で閉館の模様が取り上げられていたのをどなたかがyoutubeにアップしてくれました。
58秒位にちらっと見える建物は一番最初に出来た、支笏湖小学校を改装した支笏湖YHなのでしょうか?
私もこの建物に付いては知りません、そうだとしたら貴重なフイルムです。

【追追記:2021.11.13】
支笏湖YHは閉館後、道内でリゾートホテルを展開する、あの「鶴雅」グループがお買い上げになったようです。
お買い上げいただいた時点で「若者の宿」、「田上誠也」氏の昭和を代表する建築が無くなってしまうと思っていました。
が・なんと杞憂であった・・・はずもなく、2021年11月から始まった重機で破壊されていく姿に涙を流すのは私だけでしょうか。
三角屋根の意匠だけでも残し、若者を主体としつつファミリーリゾートのようなものができればいいんでしょうがね。(ヤングとファミリーは共存できない?)
だって全国にいる数十万の支笏湖ユースホステル宿泊者が、どうなるか見ているでしょうし・・・

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