伊勢うどん

なんやら「伊勢うどん」が伊勢地区のB級グルメだとか言われて久しいです。
冗談じゃないB級なんかではありません。

普通の市民の普通のうどんです。 あえて言うなら「特級」かも。

私が初めて伊勢うどんを食べたのは1974年に全日本ユースラリーが開催された際、ボランティアとしてユースホステル伊勢グループの冬賀代表の印刷工場にお邪魔した時に「うどんでも食べていき~」とごちそうになった時です。
「伊勢のうどん、ちょこっと変わっとるでなぁ、でも旨いんやで~」と言われて出てきたうどんは確か麺もだし汁も少なく、丼の半分程度しか入っていなかったと思います。
少なめの、こゆい色のだし汁に麺を絡めて食べます。
甘辛いだし汁です。 でもしっかりだしが効いていて非常に美味しい。 つけ麺のようでつけ麺とはまた違う。
暖かくやわらかな麺にだし汁を絡めて食べる、美味しんだな、これが。 やみつきです。
麺の量も多くなく、ちょっと小腹の足しには最高です。 おなかにも優しいですし。
お伊勢さんに行って、赤福を盆で食べて、伊勢うどんでちょうどよい感じ。(あくまで私の腹具合でです)

TVでは大げさな紹介をしていて、くたくたに数時間も煮込んだ麺で・・などと言っていますが、そんなことはなかったと思います。
柔らかい太麺で讃岐うどんのようなコシはありませんが型崩れするような麺ではありません。
やわらかいけどモチっとした麺と、こゆい色のだし汁なんです。 ぜひ食べてみてください。
お伊勢参りに来る旅人が疲れをいやし、伊勢の街に到着したことを実感させる食べ物だったと感じられますよ。

おすすめのお店は特にありません。 それほどの知識もありません。
私が行っていた頃(四昔ほど・・)はどこのお店でも「うどん(伊勢うどん)」を出していたし、どこのお店も美味しかったです。
しいてあげるなら、内宮への旧参道(今はおはらい町通りと言うのですね)を宇治浦田町交差点(内宮駐車場)から少し入ったところの五十鈴川側にあった「食堂・橋本?」(記憶があいまいでお店の名前は99%外れていると思いますが)です。
パイプ椅子と簡単なテーブルだけ、おばあさんが作ってくれていたと思います。
でももうお店は無いんです。 悲しい。

ちなみに「伊勢うどん」の名付けは「永六輔」氏ではないかとの説があるみたいです。
氏が「伊勢うどん」が好きであった事は確からしいですが?
自身が放送していた番組中で「伊勢うどん」と繰り返し言っていたのも確からしいが、名付けの真相は不明です。
上に書いたように昔は単に「うどん」と呼ばれていて、私はお店で「伊勢のおうどん」でくださいと言っていたように思います。

そうそう「伊勢うどん」の話をするなら「たまり醤油」の話もしなくてはなりませんね。
たまり醤油(いせ醤油)あっての味ですから。
三重県は中部地方に属し、愛知県の影響を強く受けているかの感じがしますが決してそうとも言えない不思議な場所です。
三重県も愛知県も東海道でつながれていましたが、五十三次の宿場で言えば愛知県(三河)「宮」宿から三重県(伊勢)「桑名」宿までは道ではなく「七里の渡し」という渡し船で渡っていたのです。
陸路で行き来出来ない事は無かったのですが、木曽川・長良川・揖斐川の木曽三川と呼ばれる大河を超えなくてはいけないため「七里の渡し」を使っていたものと思われます。
そのため人も物資もこの「七里の渡し」で切れることが多かったようです。
料理で関東風と関西風の接点はどこだと言うようですが、私思うに「七里の渡し」が切れ目だと考えるのですが・・・

私が三重に赴任した当時、津市内にはお好み焼きのお店が結構いっぱいありました。 名古屋には少なかったと思います、関係するのかな?
角餅・丸餅のお雑煮論議もあるくらいですし。
言葉も少し違うし・・・?  いや、大きく違うかも?? (三重弁なんかも北勢・中勢・南勢それぞれで微妙に違うし・・・)

また食堂に行くとテーブルの上に置かれた醤油はたまり醤油を置いてある所が多かった、というよりほとんど全部のお店がそうでした。 (四昔ほど前・・) 名古屋ではそれほどではなかったように思います。
先輩から三重の醤油は東京の醤油とは違うからね・と言われましたが、私はすぐに慣れ、好きになりました。
今でいう「さしみ醤油」の感じですね。
でも九州の甘辛しょゆとはまた違います、あれほど甘くはありません。

そんな甘辛の「たまり醤油」から「伊勢うどん」のだし汁は作られています。
でも意外と見た目と違い塩分濃度は「濃口しょうゆ」より少ないのだとか、旨味が色に出ているそうですよ。

志摩名産の「てこね寿司」もたまり醤油あっての味です。
東京で濃い口しょうゆ使って作ってもあの旨味たっぷりの味は出ませんもの。

今は伊勢のおはらい町とか歩くとあちらこちらのお店の壁やのぼりに「てこね寿司」と書かれています。 お味は??

少し前まで、参道沿いのお土産店(岩戸屋・二光堂・喜久屋?)では「生姜糖」か「真珠漬」位しか売っていませんでしたのに・・・
(もちろん修学旅行三種の神器である、ペナント・通行手形・木刀は売っていましたが・笑)

てこね寿司の話に戻りますが、てこね寿司は志摩半島の中心部にある和具地域が発祥の地と言われています。
志摩半島は外海である太平洋と内海の英虞湾を隔てています。
♪和具の漁協に出入りしていた頃に聞いたお話です。

リーダー
和具港のすぐ近くに大島・小島という島があり(太平洋側)、この両島は浅瀬と岩礁に取り囲まれイセエビ・サザエ・アワビやアジ・サバ・カツオなどが獲れ、漁師・海女の好漁場であることから多くの漁船が集まっていたそうです。
漁師・海女と言えば夫婦船と呼ばれるように夫婦で仕事をしていたわけで、食事の手間を省くため船に飛び込んできたカツオを、さっと、さばきご飯の上にのせて醤油(たまり)をぶっかけて食べていたとのことでした。
あなた
え・勝手に飛び込んでくるのですか?
リーダー
なんでもカツオはエサや漁の騒ぎで興奮すると勝手に飛び始め、船にも飛び込んでくるとか聞いたよ。
新鮮な食材が向こうからやってくるなんて、うらやましい。
私も漁協に出入りしてるとカツオやブリを一本まんま、もらっちゃってかえって困っちゃったりしたこともあります。
(魚が飛び込んできたぁ・笑)  しかし、独身男が一本貰ってもねぇ・・・
あなた
そんなときはどうしたのですか?
リーダー
行きつけの一膳めし屋に持ち込んで、お作りにしてもらいます。
残った部分は手間賃としてお店に残してきます。  大体3/4くらい残りました。
お作りは美味しかったですヨ。
でもさすがにてこね寿司は作ってもらえなかったです。

その頃、てこね寿司を一人前で食べれるのは和具にあるドライブイン食堂だけでした。
なので、近くを通りがかる度に食べました。 最高に美味しかったですね。

名古屋駅のホームで食べるきしめんも美味しいですね。 寒い時なんか生き返る気持ちにさせてくれます。
きしめんも本来的には「たまり醤油」で味を調えるらしいです、刺身用の「たまり醤油」とは違う、麺用の「たまり醤油」ではあるらしいですが。

伊勢を離れて、隣町の鳥羽へ・・・
三島由紀夫氏作の「潮騒」は三重県の神島が舞台です。
伊勢湾の入り口にある小さい島ですが、交通の不便さもあり古くからのしきたり風習が残る島です。
実は一度しか行ったことは無いのですが、とても風光明媚というか・・(風光明媚という言葉が出た時点で、記憶が無いんだなという事がバレバレ・・・)
お恥ずかしい限りです。 
唯一覚えているというか、監的哨(観的哨)跡からの眺めはすごいです。 伊勢湾を出入りする全ての船が見えますから。

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