北回り12回 第1日目 7月21日(金)


札幌駅北口にある札幌ハウスが集合場所です。 その頃は飛行機なんてやたらに高く、ヤングは全然使えませんでした。

ホステラーもカニ族もみんな、国鉄の北海道周遊券を使い北海道旅行をしていました。
1972年当時東京発の北海道周遊券は7440円(16日間有効)でしたが、当時の時給からすると結構高かったです。
それと有効期間16日と少し短かったですね(このすぐ後に値上げとともに有効期間は20日になりました)
価格も時代のインフレにひきずられ毎年のように改定(値上げ)されました。
 坂ノ下田村麻呂さんのHPよりお借りしました。9300円、学割だと2割引きですから7440円です。

7月21日(金)15時になると、札幌ハウスYH内にホスバスの専用受付を用意し、私たちリーダーも北海道YH協会の職員さんと一緒に受付を始めます。
その当時の札幌ハウスの写真はありません、翌日の集合写真から思い出してくださいね。
はじめてのYH、はじめての長期旅、はじめての一人旅、と一人一人の参加者の思いが受付をしていてもひしひしと感じられる瞬間です。
逆に言うとリーダーにかかる責任の重さを感じる瞬間でもあります。
夕食後のミーティングの時間(YHのミーティングについては別コラムに書きます)に全員で顔合わせです。
これから始まる11泊12日間の仲間になります、ドキドキですね。
まず簡単に息抜きのゲームなどしたあと自己紹介です。
今回も女性が多いです。 5:1ぐらいかな。 でも男性が多いほうが嬉しいです。 ちょっとしたことでも手伝ってもらえるし、声もかけやすいし。
ということで男性お一人にサブリーダーをお願いし、班はすでに決めてあるのですが、それぞれ班長さんを決めてもらいました。
突然のお願いで戸惑ったかもしれません、ごめんなさいね。
でも班に名前をつけちゃった人もいました「ライラック」班のライラックちゃんです。
 ライラックの花(社会人写真部さんのTwitterより)

ところで
札幌には札幌市民憲章があります。

札幌市民憲章
前章:わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。
1章:元気ではたらき、豊かなまちにしましょう。
2章:空も道路も草木も水も、きれいなまちにしましょう。
3章:きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。
4章:未来をつくる子どものしあわせなまちにしましょう。
5章:世界とむすぶ高い文化のまちにしましょう。

美しい街並みの札幌市民に受け継がれる憲章です。
うらやましいですね。 私は小樽で生まれ、札幌と東京で育ちました。 小中高大と東京で育った私には、札幌の自然のある街並みに憧れています。

続いて札幌の歌です 高階哲夫作の「時計台の鐘」が有名です。 あまりに古いのでパスしようと思いましたがしおりにものっているので

本当は下に置いた「時計台の鐘の鳴る街」をみんなに教えられれば良かったのですが、申し訳ないことに私はうろ覚えでみんなに教えられなかったです。
ごめんなさい。

この歌は1970年代、札幌を中心としたYHで歌い継がれていたそうです。 ホスバスでは私以外のリーダーの多くが歌唱指導していたようです。
皆さんにお配りした歌集にもちゃんと載っていました。 「時計台の鐘の鳴る街」として。
1976年になって、芹洋子さんが最初にレコーディングしましたが、当初は北海道のユースホステルで歌い継がれていた作者不明の曲として扱われていたとのこと。
その後札幌のアマチュアフォークシンガー浅沼修さんという方が作詞作曲した「時計台のある街」だと分かったそうです。
では、浅沼修さんの「時計台のある街」も(後半切っちゃっていますがご容赦を)


もう一曲、札幌を語る上で切っても切れない縁のある歌です。

今回のホスバスの走る直前の冬、1972年2月3日から2月13日の間「札幌オリンピック」が開催されました。
東京が1964年の東京オリンピックで一気に近代化が進んだのと同じように、札幌の街も1972年に劇的に変わりました。

みんなにこれからの行程や予定を伝え、自己紹介などをして一日が終わりました。

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