北回り12回 第2日目 7月22日(土)


まず、札幌ハウスYH前に全員そろって記念写真です。 (修学旅行の記念写真みたいですが、今は私の大切な大切な宝物です)
https://www.youthhostel.blog/wp-content/uploads/2020/11/72年北回り12回_2日目集合写真-1.jpg
※50年近く前の写真ですが、昨今の個人情報なんちゃらで解像度をかなり落としています。
私の顔はこんなんじゃな~い、とのクレームはしないでくださいね その代わり大きい写真のほしい方はご連絡ください(要、当時のお名前と住所)

ホステラーのみんなには、とりあえずグループごとの座席表に沿って座ってもらいます。
この頃のバスには床下収納などありませんから最後列が荷物置き場でした。
班長さんの指示のもとみんなでリュックなどしまってもらっています。
私はといえば、今日からお世話になるバスの運転手さんの山田さんとガイドの阿部さんに挨拶をし、三種の神器と呼ばれるYH旗などを収納してから札幌ハウスYHや北海道YH協会の方の見送りを受け・・・さぁ出発で~す
札幌時計台を見ながら国道5号線へ。
旭川に向かう国道5号線には直線30kmもある場所があります。 舗装道路だし!!車も少なく、揺れもなく快適。
早速バスの歌、私たちのバスのテーマソングを決めます。 朝の発車時には「?」、YH到着時には「?」、ごめんね、忘れてしまいました。
ただ単に私が好きだったという理由で「モーラップの恋」(みどりの森に、つづく道・・・)がどちらかのテーマです。
えぇっと「モーラップの恋」をyoutubeで探したのですが、どこにも無いってことで別の曲


「大塚博堂」さんの歌、好きです。 私たち世代のちょっと上のアニキですが、曲は私たちが旅行したのと同じ頃に発表されています。
今は理由はわからないですがアニキを「大塚たけし」の頃から知ってはいました、 でも若くして逝去してしまい、なんかあっという間、風のように通り過ぎて行った方でした。
高倉健さんが一番好きだった歌手というのも、何となくわかるような気はします。

さてバスは神居古潭で休憩です。 ここは石狩川沿いの景勝地でしたが、1969年10月に函館本線が線路の変更をしたため廃線となり、残った駅舎と蒸気機関車たちが置いてあります。  当時は列車の車窓から見える風景が有名でした。

みんなで国道から渡る吊り橋を揺らしっこしたり(良い子はマネしてはいけません、でもそもそも大きすぎてほとんど揺れませんし)、廃線後の駅舎にSLとか展示されていて、運転台に乗ったりしましたが・・・まだ今一つ他人行儀な感じ。


写真は1967年の神居古潭駅。「中華特急のスローライフ」さんのブログより。 私たちの行く5年ほど前までこんな感じだったのですね。
線路の変更は神居古潭で土砂崩れにより国鉄の機関車が巻き込まれ尊い人命が失われたことによります。
帰りがけ橋のたもとにはこんな注意書きが    101人乗ったら落橋するところでした。 危なかったぁ!

さて、先を進み旭川YHで昼食をいただきます。 有名な旭川ラーメンではなかったような?

みんなで食事の用意をして、少し和みましたね。

ちなみに「旭川」ですが「あさひわ」と呼ぶ方と「あさひわ」と呼ぶ方といらっしゃいます。 皆さんはどちらを使うのでしょう。
明治23年9月20日の道庁令で「アサヒワ」となりその直後の明治23年9月29日の官報では「アサヒワ」と命名されています。
大正11年旭川市市制が施行されて以降、先に命名されていた「あさひわ」を正式名としているようです。
鉄道の駅名は明治31年の開業時より「あさひわ」、明治38年から「あさひわ」に変更、昭和63年JR会社発足に合わせるように「あさひかわ」に再変更。
別にそれがどうしたというわけではありませんが、私が時々行く寿司屋で旭川出身のオヤジと一緒に「大吟醸・男山」を飲みながら「あさひわ」を連呼しています。 旭川YHの英語表記は「ASAHIKAWA YH」でした。

つづいて層雲峡です。
層雲峡温泉街がら少し離れたところに下の写真に見られる「銀河の滝(左)・流星の滝(右)」の二つの滝が見えます。

二つの滝が流れ出てくるのは大雪山からです。 大雪山は単一峰の呼び名でなくこの周辺の山々の総称です(旭岳・愛別岳・比布岳・北鎮岳・凌雲岳・
黒岳・烏帽子岳・赤岳・北海岳・白雲岳)などの集合をそう呼びます。

とても美しい場所です。 この世とは思えないほどの美しさ。
でも自然環境が非常に厳しいので注意しましょう、真夏でも凍死事故が起きます。
よく大雪山を「カムイミンタラ」と呼ぶ方がいますが、「カムイミンタラ」とはアイヌ語で「神々の遊ぶ庭」という意味であり、
美しい場所をそう呼んでいます。
アイヌ民族の人々は大雪山連峰を親しみと畏敬の念をこめてこう呼んでいましたが、特定の場所を示す言葉ではありません。

ここから、小函・大函と柱状節理の崖が続くので、バスを降りて歩いて見学です。
当時の国道39号線は石狩川に沿って走っていたので、遊歩道と車道が付かず離れずとなっていたので疲れた人はバスに適宜拾い上げてもらうのもOK、
でもみんな大函トンネル入り口までの4kmほどを歩き切っていましたね。
今はここで見た雄大な景観は、大災害があった後、全てトンネル化され見ることが出来ないのです。  ⇒「南回りコース、第11日目」を見てください。

ここから1960年代の層雲峡の写真です。
  大函入口

工事中の大雪ダム(大雪湖)を見ながら石北峠を下りるとイトムカ(旧地名:イトン・ムカ)があります。
昭和の初めから水銀を産出する鉱山と加工生産するイトムカ鉱山がありました。

水銀と言えば1950~60年ごろに被害が公表された水俣、阿賀野などの有機水銀による中毒が思い出されるますが、イトムカでは無機水銀を作っていますのでそれほど大きな健康被害はなかったように聞き及びます。
ただ水銀は硫黄分と一緒になった鉱石(辰砂(しんしゃ))になっていますので、取り出すとき(精錬)時に硫黄分が亜硫酸ガスなどとなって近くの山を禿山にしました。

現在は精錬をしていませんので、付近の山は従来の緑を取り戻しているようです。
また水銀を扱っていた経験から現在は国内唯一の水銀リサイクル工場として稼働しています。
水銀は蛍光灯などから取り出します、蛍光灯内のガスから取り出すのです。 蛍光灯は割らないようにしてリサイクルしましょう。
また普通エアコンの設置・撤去作業はしないと思いますが、エアコンの冷媒(フロンガス)を空気中に放出してはいけません。
地球の温室ガスの元凶と言われています、特に古い機種。

バスの中ではこんな歌も歌いましたね

今日の宿泊は「ルベシベYH」です。
現在休館中の「ルベシベYH」は新しく建て替えられた建物で、私たちが泊まったのは ルベシベ町旭東町の無華橋近くにありました。
宿泊室は3段ベットで、3段目の高さがちょっと怖かったです。

みんな疲れているとは思いますが、若かったんですね、夕食前に15分ほど離れている留辺蘂駅まで散歩しました。 (私も歩きましたが・・・)

 昭和37年7月開所

今日の宿泊スタンプ・・ペタ! 

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