南回り14回 第5日目 8月11日(金)

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宿泊した新冠YHのある新冠町を含む日高支庁(日高振興局)の日高町、平取町、新冠町、新ひだか町、浦河町、様似町、えりも町では競馬馬の生産がとても盛んです。
本格的な馬の生産が行われたのは江戸時代のことで、江戸幕府が現在の浦河町に馬牧を設置し、数百頭の馬を飼育した事から始まるそうです。
気候も温暖で雪も少ない地域だった事や地域的特徴から、牧場を作るのに適した場所として明治以降から本格的な馬産が行われていったのです。
初期の馬産は軍馬や農耕馬が中心でしたが、戦後の農業の機械化などや、馬産の大部分を占めていた軍馬・農耕馬の需要の消滅によって急激に衰退していきました。
競馬ブームが起こると、一気に全国で競走馬の生産を行うようになりましたが、サラブレッドは馬の中でも皮膚が薄く、暑さに弱いということも北海道・日高への集中を促したのです。
日高振興局における農業生産額に占める競走馬の割合は1965年には22%であったが、1970年には63%に上昇し、それ以降60〜70%を維持し続けているそうです。
かのJRA(日本中央競馬会)もこの地を重視しているのか、日本中央競馬会宇都宮育成牧場日高支所を昭和29年に開所しその後名称を日高育成牧場とし設備を拡充し続けています。
日高育成牧場は巨大な施設です、上の画像の谷全体が施設ですし長さ1kmになる屋内走路もあります。(2コースあって同時に往復で使えます)
この屋内走路の両端には見学施設があり、牧場主と思われる方々が大きな双眼鏡で仕上がり具合を見ています。 (向こう端まで1kmもありますから:長さ1kmの建築物もすごいです)

当時は「シンザン」と呼ばれる三冠馬がいて人気を集めていたため、ガイドさんもこの馬の話ばかりしていたように思います。
切手にまでなってしまったシンザン 

日高地区は日本の桜のほぼ最終地点にあるためGWには浦河桜祭りが開かれます。(厚岸の国泰寺が本当の最北端と言われていますが?)
新ひだか町の二十間道路桜並木 
桜はいわゆる「ソメイヨシノ」とかではなく「エゾヤマザクラ」「カスミザクラ」「ミヤマザクラ」などです。
日本の桜前線の最終地点と言われる、厚岸の国泰寺などでは「チシマザクラ」と変化していきます。

お昼ご飯はえりも岬にある「YHえりも観光館」だったと思います。 えりも岬YHが出来るまではえりも岬で泊まるにはここしかありませんでした。
しかし霧の日は灯台に近すぎて霧笛の音がうるさくてたまらないとの評判がありました。(笑)私は泊まったことがありません。

さっき日高で馬の生産が盛んになった理由の一つに馬が暑さに弱いと書きましたが、ここえりも岬は気候が良いというか悪いというか・・・
えりも岬地域気象観測所の測定によると、8月の平均最高気温が19.8°Cと、日本全国の気象官署・アメダス(富士山頂を除く)では釧路町知方学と並び最も低いそうです。
過去からの最高気温も26.2°C(2012年9月16日)と、真夏日はおろか夏日の観測すら稀であり、北海道の中でも特に夏の気温が低い地域のひとつとか。
一方で、冬は北海道にしては珍しく-10°C以下の気温を一度も観測しない年が多々あるらしく、北海道で年較差の小さい地域となっているのです。
このように夏は冷涼で、冬は比較的温和であるんですね。
でも、非常に風の強い地域で、最も風の強い襟裳岬では、風速10m/s以上の日が平均で年間268.7日ある。【wikiより】
一度、草木を刈ってしまうと強い風にあおられ自生してこないらしく、緑化の取り組みがNHK総合「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で取り上げられましたね。
「えりもの春は、何もない春です」と歌われた森進一の「えりも岬」は昭和49年のヒット曲で、私たちがえりも岬を通過した時には「何もなっかた」です。
おちよさんと呼ばれた島倉千代子が歌った「襟裳岬」はありましたが。
「風はひゅるひゅる」と歌われた歌でガイドさんが歌ってくれましたよ、おぼえてますか?

えりも岬を帯広に向けて出発するとすぐに百人浜の美しい海岸線が見えてきます。
美しい砂浜とは裏腹に、江戸時代盛岡藩の御用船が遭難し,乗組員百人が犠牲になったため,この地名が生れたといわれます。
北の海の厳しさですかね。 ガイドさんの話、ちゃんと覚えていますか。

百人浜を過ぎると日高山脈の山塊がそのまま海に落ち込む地形になります。
この荒々しい地形に抗して国道を作る計画が昭和の初めより行われ、大変な金額を使って造られたため「まるでお金を敷き詰めた道路のようだ」という事で黄金道路の名がつけられたようです。
正式には国道336号線です。
当時は崖と海岸に挟まれた狭いところを通り抜けていくような道路で、海が荒れると汐をかぶるようだったらしいです。

積丹半島と同じです、自然災害も多かったと思います。
生活道路だったため多少の嵐ぐらいでは通行止めとしないので、よけいに汐かぶりだったのかもしれませんね。
私たちが行った頃もそんな道路でした。 
今は改良が重ねられ海から離れた場所をトンネルで抜けるため眺望は無くなってしまいました。
私たちは海も山もトンネルも見れましたよね、良かったです。
ドローンを使って旧道・旧旧道などを見て見ましょう。


日高山脈も終わりとなって開けた場所に国鉄の「広尾駅」があります、駅のトイレを借りてしばし休憩です。
カニ族の旅行ではここからえりもに向かう者、帯広に向かう者でごったがえしていました。

写真は「ギャラリー弐番館」さんからお借りしました。 ありがとうございます。
広尾線の列車は1、2両ぐらいでしたから夏のシーズンにはいつも満員でしたね。
夏は3両位でで運転されていたかも?
私たちは観光バスですから・・ゆっくり~・・ と言っても昔のバスですから狭かったです。
さらにバスの床下に収納スペースなどあるわけも無く、みんなの大荷物は座席の最後列に並べおきます。
体の大きな男子にはちょっときつかったかも。

大樹町を過ぎたあたりから帯広に向かう道は平原の中の一本道です。 北回りのバスと途中ですれ違います、
運転手さんは大体この辺かなと教えてくれますのでガイドさんと一緒に目を凝らします。
お!きたきた、両車とも一時停止し「ごあいさつ」エールの交換とお互いの安全を祈ってお別れです。

このあたりの中札内村と言えば今でこそ「花と緑とお菓子と芸術の村」と呼ばれるほど知名度が上がりましたが、牧場と広大な畑が広がるだけ。
幸福駅も知ってる人だけが知ってるという感じでした。
幸福駅にはバスが停まれる駐車スペースも無く、無人駅で切符の発売も無いので通過です。
この頃の風よけだけの駅舎は、傍若無人な定期などの貼り付けも無く、良きローカル感を醸し出していました。

ちなみにこの地には六花亭が「六花の森」をはじめとした芸術村を開いています。


ただ「六花の森」はGWから秋までの開館ですから行く時は気をつけましょう。
私も先日(GW少し前)たかをくくって「開いてんだべ~」と行きましたが「お~!なんと」閉館中でした(涙)。
しょうがないので「道の駅中札内」で「名物?唐揚げ」をたべました。
そんなのどこでも食べられるだろ?と思うのは間違い、中札内の空気の中で食べると「幸福💛」になれるのです。

その頃のお土産の定番と言えば六花亭のホワイトチョコレートでしたね。
長辺15cmくらい、短辺6cmくらいの大きさでした。 みんな買いましたね
でも今はもう売ってないの、今のはずっと小さくなった個包装になっちゃったんです。
個包装になって1個当たりの価格が下がったので会社などへのお土産にしやすくなりました。
私的な思いですが北海道お土産の(会社向けなどですが)「白い恋人」は個包装であるうえ 1個当たりの単価が安く大量配布には最適でしたね。
これが「白い恋人」が北海道土産の定番になった理由と思うのですが・・・
だって机の上にポンッと置いてあっても衛生的だし。
ホワイトチョコも個包装に変わって、ちょっと食べるにはいいサイズになりました。 北海道土産のトップの座を復活できるかな?

話は戻りますが、私が北海道から持ち帰るお土産の一番は六花亭の「マルセイ」か北菓楼の「シュークリーム」です。
六花亭・マルセイバターサンド    北菓楼・北の夢ドーム

誰もがおいしいと言う、間違いのない味と品質ですから。 今も昔も。

空港では・・男一人で北菓楼のシュークリームを食べるのは恥ずかしいので、雪印の「ロイヤル・アイスクリーム」を食べますね。
ラーメンは札幌の狸小路にあった「味の起平」の味が忘れられず、空港に良くあるトンコツを煮だした味のものは、ただただくどいのであまり食べません。
「味の起平」もかなりギトギトだった・・札幌の空気だったからおいしかったのかも。
鳥ガラだしの東京ラーメンはいただきます。

さてさて、帯広空港近くには北回りコース(8日目)にも書きましたが、ドイツの田舎町を模したテーマパーク「グリュック王国」がありました。


名前の通りドイツの街並みをテーマとした場所で、そこにはビュッケブルグ城(シュロスホテル)と呼ぶ素敵なホテルがありました。
ホテルは本物の石造りですし床も大理石、お部屋のお風呂は猫足の付いたバスタブでしたから・・・
帯広の老舗「加藤家具店」の加藤会長のお話では、内装家具もドイツやイタリアなどから輸入した超高級品だったとか。
画像で歌が歌われていたあのホールでワルツを踊ってみたかったです(踊れないけど~~)。
下の動画はオマケです。 画面中に宿泊プランが出ていますがメチャ安です。 超本格ドイツ料理でしたし・・

私はドイツ好きなんですが、ドイツでも南ドイツです。
そこにはババリア地方(昔のババリア国)独特の踊りがあり、男女が手をつないだままくるくる回ったり体を交差して踊ります。
音楽はワルツでなくレントラーと呼ばれる楽曲です。 ただレントラーも3/4拍子でワルツのお友達ではあります。
実際にはこんな感じ↓、つないだ手の動きがわからない!? 


手はしっかりつないではいけません、中学生のフォークダンスのように・軽~く繋いでね。

たぶん世界で一番有名なレントラー・ダンスはこれ! ↑


マリアとトラップ大佐がお互いを意識した印象的な場面ですね。

私がやっている楽器はこれこれ!


と言ってもここまでパンチの利いた演奏はできませんが・・・
現地ではスタイリッシュハーモニカと呼ばれています。
簡単そうだけどすごく難しいです、蛇腹を引いた時と押したとき同じボタンでも違う音が出るんですから。
普通のアコーディオンのように押して端まで行ったら引けばいいとはいきません。
音によって押し引きが変わります、画像を見てもらうと蛇腹を細かく動かしてるでしょ。
まぁ民族音楽専用みたいな・・・日本では流行りませんな。

バスの窓から十勝の平原を見ていたらアメでも食べたくなりました。
明治チェルシーの歌と言えばシモンズの澄んだ歌声を思いますが、この歌シモンズからCHEMISTRYまで多くの方が歌っていたのです。
でもこの動画長いので注意!
わたし的にはガロ(学生街の喫茶店)の落ち着いた声もいいなぁ~ とか。

今日の宿泊は「帯広ヤングセンター」です。
ここも2日目に宿泊した「モイワローヤルロッジ」と同じように日本YH協会から正式に認可されたYHではなく、北海道YH協会が独自に契約したYHです。
一般のホステラーは泊まることはできませんし、電話番号すら公表されていませんでした。
所在地は現在の帯広市消防本部のある場所です。

スタンプは貴重品かも(そんなことはないか)。
下の画は「帯広の公共施設いま・むかし 調べながら展」HPからお借りしました。 画中の奥のかまぼこ屋根の下に、夏は温水プール、冬はアイススケートリンクがありました。

手前の角型の建物が宿泊棟になります。 ガラス戸のおしゃれな入口とこざっぱりした宿泊室でしたが、食事も洋食のこざっぱりしたもので・・早く言えば男子には全然足りなかったですね。

それでもみんな自由時間に帯広の町に出て、帯広駅で売っていた「愛国⇔幸福」間の切符を買ったりしていたみたいです。

今日の宿泊スタンプ・・ペタ! 

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