南回り14回 第6日目 8月12日(土)


ヤングセンターのお上品な朝食を食べ出発です。(やっぱり足りない)
バスは十勝平野の中を走ります、車窓からは広大な牧場や農地が広がります。
今日は行程もそれほど長くなく、ゆっくりできる一日になるはずです。

私もゆっくりさせていただいて、っと・大好きな「藤圭子」さんの歌です。
1969年に出た歌です。


藤圭子さんはもし生きていらっしゃれば私たちと同じ世代です(1951年:昭和26年生まれ)
生まれは岩手県とのことですが、その後北海道に来て筆舌に表せれないような苦労をされたと聞き及びます。

ただ私的なことですが、私はこの頃新宿の学校に行ってましたので新宿を場末の歓楽街ととらえられるようなこの歌に良いイメージはありませんでした。
でも美しさ可愛らしさと年下でありながら大人っぽい仕草、歌い方にこっそりと憧れたものです。
(表向きにはフン、と言いながら心の中では・ってやつです)


美貌と美声(ハスキーですが)を兼ね備えた才色兼備の方で、有名歌手の中で一緒に歌いたくないと言った方が多かったとか・・・
(あの上手さにかなう人ってそういませんよね・笑)
2013年自ら旅立たれまして・・・本当に素敵な方だっただけに残念です。(合掌)

上士幌町は十勝平野の北側にありますが平野の広さから毎年熱気球フェスティバルが開かれています。
1974年に開かれた「第1回熱気球フェスティバル」から始まり、現在は「北海道バルーンフェスティバル」と名前を変えていますが、国際的にも有名な熱気球の聖地となっています。

空を飛ぶにはいくつかの方法(機材)がありますが、熱気球は大がかりな機材やサポートする大勢の人が必要ですのでどうしても大規模になってしまいます。
なので私たちの頃はハンググライダー(三角形のロガロウイングを持ったもの)が個人でも出来ることから結構流行りました。
でも安定性が悪くすぐに墜落して結構友人たちも打撲、骨折だと大変だったようです。
幸い仲間に亡くなった奴はいませんでしたが。
ハンググライダー    パラグライダー
その後パラグライダーになりました、パラシュート生地なんでしょうか、柔らかい円筒を並べたようなパラフォイルと呼ばれる柔軟翼で形成され、飛行の安全性安定性が格段に高められたためこれも結構流行りました。
私もいろいろと何度か挑戦しましたが結局モノにはなりませんでした。
そもそも船酔いする体質だったもんで、3次元空間には非常に弱いのです。
ヘリコプターがダメです、上下の揺れ、左右の傾き揺れ、お尻を左右に振る揺れなどでやられてしまいます。
30分が限界かな・・・(思っただけで、気分が!!)

しばらく平原の中を走ると十勝平野の大展望が望める扇が原展望台につきましたが、折からの小雨で展望は開けません。

然別湖手前のナキウサギの生息地でも、ナキウサギたち雨に嫌気がさしたのか全く姿がありません。 ユースホステル然別湖畔温泉でお昼です。

本来だったら昼食後、高山植物咲き乱れる白雲山から天望山、そして北海道三大秘湖と呼ばれる東雲湖へハイキングをする予定だったのですが、残念。

天望山は頂が二つある山で湖が凪の時、反射した山影と合わせて別名を「くちびる山」と呼ばれています。 写真でよくわかります。
この天望山の右に白雲山、左の斜面を下ったところに東雲湖、があります。
しかし雨の中これと言ってすることもなく、何をしたんでしたっけ? 温泉のあるYHだったので、温泉で羽根伸ばしをしたのかな。
ごめんなさい記憶喪失。

さて、糠平湖に出発です。 雨に煙る然別湖を右に見ながら進むと「山田温泉ホステル」が見えてきます。 南回り7日目 1972年7月27日に紹介した「赤い花・白い花」の歌が発信されたYHです。
残念ながら今はユースホステルも日帰り温泉も廃業してしまったとか。 残念。
この近辺の川では幻の巨大魚「イトウ」がいるとされ、釣り人が来るようですが、魚たちと同じようにヒグマもいますので危険地帯。
イトウの釣り上げだけを自慢にしたい、心無い釣り人に釣られず、いつまでも生き続けてほしいものです。

昔(当時)幌鹿峠、いまパールスカイライン(どっからこんな名前つけたんだ??)、を通り糠平湖へ。

糠平湖ユースホステルは今の「東大雪ぬかびらユースホステル」と少し場所が違うところにあったと思います。
たしか郵便局の斜め前だったように記憶が、それと宿の後ろは山だった??
糠平湖YHは名前が良く変わっていて「泉翠館」⇒「泉翠館ホステル」⇒「糠平湖ユースホステル」⇒「ぬかびら湖ユースホステル」だったはず。
今の「ユースホステル東大雪ぬかびら」⇒「東大雪ぬかびらユースホステル」と名前が変わったのと関連は不明。
正式には「糠平湖ユースホステル」が日本YH協会認定の名前だったはず。
ただ旅館兼業だったため「泉翠館」でもOKだったようです。

YHのお風呂は名前のとおり温泉です。
温泉は湯舟が男女共用で(と言っても混浴ではない)【昔は脱衣場は男女別だが湯舟は一緒なんていう温泉は結構ふつうでしたが】、ここはさすがにYHの基準を満たすためか洗い場はもちろん、湯舟の真ん中にも仕切り板があってとりあえず向うが見えないようになっていました。
でも仕切り板は下までなく湯の中はつながっていました。
ただそれ以上に仕切り板が歪んでいて隙間から向うが見えないわけではなかった事は問題ですね。
まぁ混浴と同じで見えても見えないふりをするのが大人のマナーだから・・・
でも大人になり切れないやつもいたみたい。(どういう意味だ?)
女性の方、昔の事だから許してくださいね。 いや、別に私は・・・
こんな感じ・ただ間仕切りはきちんと男女別になっていました 

小雨模様という事もあり皆さん外出もせず、ゆっくりできた一日でした。
少し歩くと国鉄の糠平駅がありました。
最近になって名前の売れ始めた「十勝三股」駅まで列車も走っていました。
また夏になると湖に沈み、冬になると出てくる、タウシュベツ川橋梁は私たちの行くずっと前、昭和30年に糠平ダム建設に伴い使用停止になっていました。
【夏は雨が降るので水量が増えるのですが、冬は雪が降り溶けもしないので貯水量が減るのです】
最近いろいろなメディアに取り上げられていますが、11連のアーチが見れるのはそろそろおしまいでないかい、と言われています。

写真は初夏のようですがこの頃になると熊さん出てきますので、お勧めできません。
糠平駅からは帯広を抜けて広尾駅(えりも岬最寄り駅)まで直行急行(大平原)もあり、周遊券を持ったカニ族に占領されていました。
十勝三股駅より先、三国峠を超えて大雪湖(大雪ダム)【層雲峡】までの道は昭和46年に開通しましたが、舗装が平成までできませんでしたので利用者は少なかったです。
もちろん私たちも通行はしません。

糠平湖ユースの裏手にはこじんまりした国設糠平スキー場がありました、が・西武(コクド)資本が入って近代化されたスキー場にリニューアルされ、世界一の粉雪スキー場を謳い文句に東京でも盛んに宣伝されるほどでした。
私はスキーに来たことありませんでしたが友人の話によるとニセコの粉雪は目じゃない、と言い切っていました。(本当ですか?)

 1955年(昭和30年)8月泉翠館旅館兼業YHとして開所
今日の宿泊スタンプ・・ペタ! 

コメント