北回り12回 第7日目 7月27日(木)


さぁ今日も元気に朝の歌いっぱぁ~つ
ちょちょっと待ってください・・・今朝は、大きなイベントがあったんだからぁ。

昨日6日目の最後に書いたように、雌阿寒岳ご来光登山です。
結構きついので希望者だけにしていますが、ほとんど全員参加でした。 全員だったかも?
知床で書いたように夏の北海道は日の出が早く、この頃で4時ちょうど位なのでかなり早めの出発です。
確か1時起床、1時半出発だったような?
YHの裏の登山口から真っ暗な山道を森の熊さんより早く起きて登山です。
全天に広がる星空と天の川が歓迎してくれているみたい。
2時間とかからず山頂へ、すでに周りは白みかけています。 (スピード登山しすぎ山頂で待ち時間が多くなり過ぎた!)
みんな眠し・・目、開いていない 山頂標識の向こう側の外人さんも眠むそ~

・・・すると 雄阿寒岳の向こうから、ご来光が お、お、お、お~~~
みんなしっかり眼を開いて、笑顔で心に記念写真を撮っています 
山頂で半分ねむけまなこだった全員から、大きな歓声が ・・・ あまりの感動に涙ぐむ女性たち、男たちも。
実は私もちょっとウルウル・・・ ナイショよ (しかしなんでご来光見るとウルウルするんでしょ、ね)
ただ寒いの、みんなパーカー着てさらに厚着しているのにです。 真夏だというのに。 気温は一桁台です。
ゆっくりしたかったけど、寒いのと森の熊さんが起きてくるのも困るので、ただちに下山です。

※ちょっと日の出の写真の解説。 正面に見える端正な山容を見せるのは雄阿寒岳です。
雄阿寒岳の左奥の山並みは知床連山。 お日様が出ているのは国後島からです。
こうしてみるとすごい写真です。
YHに戻って朝ごはん食べゆっくり目の9時過ぎにに然別湖に向け出発~

足寄の町に寄りますが松山千春はまだデビューしていないので静か。
デビュー後に足寄に寄ったことがありますが、千春宅の看板はちょっと・・・でしたけど。
わざわざ千春宅まで行くっていうのも・・なんだけど、看板のうわさを聞いて怖いもの見たさもあって・・ごめんね千春
でも千春君に敬意を表して一曲、千春オリジナルではありませんが曲と声がベストマッチなので

然別湖は人工湖であり本州と植生が違うぐらいで特に見るべきものはありません。
ただ鉄道好きにはたまらない場所ではありました。 (私もその一員)
この頃、北海道での貨物輸送は蒸気機関車がほとんどです。 客車列車は気動車が多かったです。

この然別湖畔から、さらに奥地の十勝三股駅のある盆地まで鉄道は走っていたんです。
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十勝三股は大雪山系の豊富な林業で支えられていましたが、その後の林業の衰退などと台風被害をきっかけに営業休止⇒廃止になってしまいました。
その頃十勝のどん詰まりでしたが1971年(昭和46年)に三国トンネルが完成し、その後改良・舗装工事が終わり1994年(平成6年)に完成を見たのです。
本当の山奥に高規格の国道が完成し、昨今は北海道三大峠とも言われ観光客も通行量も増加しています。
でも十勝三股は通過地点となりこれからも注目されることは少ないかもしれません。

今人気になっているタウシュベツ橋梁は糠平ダム建設による線路付け替え工事のため、この時より10年以上前に廃線になりましたのでこの時点ですでに水没状態です。
完成当時のタウシュベツ橋梁(右)  (左)昭和の頃のタウシュベツ橋梁

2020年2月現在のタウシュベツ橋梁、右から4番目のアーチが今にも崩れそう、地元では今年持つかどうかと言われています。

2021年3月のドローン画像がありました、下に入れます。 まだ持ちこたえてくれているようですね。 嬉しい!

お昼ご飯は糠平湖YHだったはず。

糠平湖温泉街の奥から幌鹿峠を抜け、小一時間ほどで然別湖畔に到着です。
然別湖は自然の堰止湖で、標高810mに位置し北海道の湖では最も標高の高い場所にあるとのこと。
湖畔の反対側にある天望山は、湖に写るとちょうど唇のように見えるのでくちびる山とも呼ばれます。

時間があるので天望山のふもとを回り、ちょうど写真の左側の低くなったあたりから北海道三秘湖の一つ東雲湖を目指します。
(北海道三大秘湖とは、昨日行ったオンネトーと支笏湖近くのオコタンペ湖です。 50年近くたった今でもそう言われているらしい)

私たちが行った頃はもっと樹木も少なくサウンドオブミュージックに出てくる世界のようでした
東雲湖の帰り、私たちは湖畔の道でしたが天望山に登ってきた連中もいました。

ところでみなさん「赤い花・白い花」の歌、おぼえていますか?  私たちも何回か歌いました。


この歌にはこんな話があります。
【 ユースホステルから日本中に広がった歌の伝説 ⇒ 北軽井沢ブルーベリーYGH・宿主日記より 
「山田温泉ユースホステルで旅人たちが歌っていた無名の歌を偶然にも知ったミュージシャンがいました。
日本を代表するフォークグループ『赤い鳥』のギタリスト後藤悦治郎さんです。
この歌に感動した彼はレコード化し、これが大ヒットしたということなのです。(1970年)
作詞作曲は中林三恵さんという群馬県の方ですが、高校時代に散歩しながらこの歌を作ったそうです。
進学した群馬大学在学中に「クラブ対抗コーラス大会」が行われ、その大会で美術部に所属していた
中林三恵さんがこの歌を歌ったところ、群馬大学の学生の間に広まりました。
そして、その歌は、ユースホステルを使って旅する群馬大学の学生によって数年後には北海道の
然別湖にある山田温泉ユースホステルにたどり着いたのです。」

ねぇ、いい話でしょ。 ねぇ、いい歌でしょ。

1日目に紹介した「時計台の鐘の鳴る街」(時計台のある街)とか南回りで紹介する「旅の終わり」にしてもYHの持つ発信力ってすごいですね。

然別湖畔には然別湖畔温泉YHがありますが、今夜の宿は糠平湖方面に10分ほど戻った、そう、歌の原点となった山田温泉YHです。
然別湖畔にある然別湖畔温泉YHと山田温泉YHは同じ経営体だったと思います。 どうでもいい話ですが。
岩尾別YHと並んでランプの宿と言われていました。
実際には夜10時過ぎまでは自家発電による電気が点いていましたけどね。
10時までにベットに入るよう言われていました・が、みんなけっこう遅くまで起きていました。
温泉は一つしかなかったので(本来混浴の湯)時間で区切っての男女分けだったように思います?
 1957年(昭和32年)3月山田温泉旅館兼業YHとして開所
今日の宿泊スタンプ・・ペタ! 

ミーテイングで歌った歌

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