北回り12回 第11日目 7月31日(月)


おはようございます!
とは言ったものの、何となく沈みがち。
残された日は今日と明日のみ。

最初の訪問地は昭和新山です。 私たちの記憶にある昭和新山は、はげ山の荒々しい出来立ての火山でした。

でも今の昭和新山は緑が増えすっかり優しい山に変わりつつあります。 下の写真は私たちが見た1972年頃。

今の状況は、山裾の緑はともかく、山体の中間部まで緑色が伸びています。
山体そのものはまだ熱を帯びているとのことですから、そう簡単に木がぼうぼうの山にはならないようで、今少し時間がいるようです。
私の山頂部(髪の毛)は少しずつ?1972年当時の昭和新山状態になりつつあります。 涙!
私たちは有珠岳2000年噴火の前でしたから全体としてはまだ落ち着いている頃でした。
2000年3月の有珠岳西側で発生した大規模噴火によって大きな被害が出たことはまだ記憶に新しいですね。
その後を見に行きましたが、直線道路が大きく曲がり、陥没し昭和新山とともに自然の営みの大きさを感じました。
 写真は被災したわかさいもの工場
ちなみに洞爺湖土産の「わかさいも」は今でも人気がありますよ。

昼食は昭和新山YHでした。

バスは向洞爺へ着きます。
湖の向こう側にひときわ高い有珠岳と左にとんがって見えるのが昭和新山です。
昔からここは洞爺湖が一望できる場所として有名でした。

ここを出ると、蝦夷富士として有名な羊蹄山のふもとにある真狩村を通ります。
なんか有名な歌手の銅像もあるらしいですがやっぱり真狩村とお隣りの喜茂別町と言えばジャガイモなんですが、真狩村にはもう一つ。
1969年9月28日、私たちがここを通過する少し前になりますが京都のイカロス昇天グループと北大探検部の共同プロジェクトとして、日本で初めて熱気球のフライトが行なわれました。
今では熱気球と言っても一般的な物ですがこの頃は、それ何?みたいな感じでした。

羊蹄山を取り巻くように国鉄胆振線が走っていました。
倶知安と伊達紋別をつなぎ、途中には北湯沢YHのある北湯沢駅がありました。
NHKの朝の連続ドラマで国鉄職員の一生を取り上げた「旅路」が放映されましたが【1967年(昭和42年)4月から翌年3月】この胆振線と胆振線を走る蒸気機関車で撮影が行われたとのことです。
この路線を走る蒸気機関車は厳しい風雪をしのいで走るため、前照灯が2つ付いた9600型という特徴のあるものでした。
国鉄全面協力だったと聞いています。
バスに乗った皆さんならこの番組、おぼえているかもしれませんね。

函館本線と胆振線の接続駅は倶知安(クッチャン)です。
倶知安駅周辺はニセコの国際化が進み外国人が非常に多いです。
市内の商店ではおじさんおばさんみんな英語しゃべってます。 日本一国際化の進んだ町かもしれませんね(笑)

バスは倶知安駅より函館側に2駅寄ったニセコ駅の横を通ります。
ニセコの駅前に当時はまだ馬の蹄鉄を付ける(作る)鍛治屋さんがありました。(たしか、坂を右側に上がる途中)
鉄道かバスか、時間があるときは良く覗いて見続けたものです。(何も無い時の方が多かった・・)

ここから山道になりますが小1時間で今日の宿「チセハウス」に到着です。
YHのすぐ奥にチセヌプリと言う山があります、アイヌ語でチセは家をヌプリは山の事を。 なのでチセヌプリは家の形をした山という意味です。
「チセハウス」? チセは家のこと、ハウスは英語で家ですね。 なので和人言葉にすると家+家になってしまいますが、ま・いいか。

ユースの裏にはブクブクとお湯の吹き出る大湯沼があり、完全100%源湯かけ流し温泉がユースに備え付けです。
泉質は酸性硫化硫黄泉とか。 それよりかお湯と一緒に流れ来る泥(湯の華ではありません)、温泉由来のぬるぬるした、きめ細かい泥が浴槽の半分ほどを埋めているのです。
知っていればどうって事ないのですが、初めて足を入れるときはちょっとどっきりです。
チセハウスのお風呂:タオちゃんの温泉入りまくりブログからお借りしました

チセハウスのペアレントさんは折笠巌さんです。 ニセコの生き字引のような方でした。 ニセコキングとも呼ばれていました。
全日本スキー連盟の指導員資格を持った方で、冬はパウダースノーを巻き上げ颯爽と滑っていらっしゃいました。
俺は60だよ、スキーはこの年になっても楽しくてしょうがないと笑って話してくれました。
私は60かぁ・・・まだまだ先のことだけどそうだといいのにな・・・なんて思っていましたが、いつのまにかその齢を迎え、あっという間に通り過ぎて行ってしまいました。 とほほ。

サブペアレントとしてもっちゃん(森くんだったかなぁ・もっちゃんはあっているはず)はいつもやさしく厳しく指導してくれました。
冬においでよ、おいしい雪のアイスクリーム作ってあげるからさ、って言ってくれました。

「雪は空からの贈り物」と、私が敬愛してやまない北大の中谷宇吉郎先生が言っていたように雪の結晶はいろいろな形を持っています。
下の写真の本は中谷宇吉郎先生の著書です。 Mファラデーの「ロウソクの科学」よりずっと好きでした。(個人的にね)
   こちらの本も好きでした
真冬のニセコに降る雪は結晶が大きいのです。 温かい日本海の水蒸気をたっぷり含んで成長するからでしょうね。
ちょこっと動画です ▶ボタン押せば再生が始まります。
女性の小指の爪ぐらいの大きさのものもあります、あの雪印のマークにもなった六花結晶です。

この結晶たっぷりの雪をボウルに取り込んで、冷やしたコンデンスミルクをドバっとかけ混ぜる・・・これだけ。 チセのアイスクリーム。
でもこの結晶がはっきり出来た雪でないと美味しくできないのよ、これが。 なので以上の作業は全て零下10度以下の極寒の外でやります。
食べるのは屋内のストーブの前、おいしかったなぁ。 こんなの作ってくれるチセハウスに拍手。
なんですが残念ながらチセハウスは廃業しました。
いい思い出がたくさんあったのに、その思い出とともになくなってしまいました。

夜はキャンプファイヤーでした。
満天の星空の下、燃える火とともにはじける火の粉にそれぞれの思いを託し、天まで届けとばかりに大きなファイヤーにしました。
明日になれば、みんな離れ離れになり一人で歩いていく道がはじまります。
その事を思うととめどなく湧いてくる涙。
本当にいい旅を過ごしてきました。

私も溢れ来る涙を、煙のせいにして顔を見せないようにしていました。

 1955年(昭和30年)6月開所
ハンドブックの写真では三角屋根の向こう側に鉄筋の建物が見えますが国民宿舎「雪秩父」のもので、チセハウスと関係ありません。
三角屋根がチセハウスです。ただチセハウスすぐ横の白い平屋建ての窓が三つ見える建物はチセハウスの温泉部分です。

今日の宿泊スタンプ・・ペタ! 

10日目に戻る     ホームに戻る     12日目に進む

コメント