伊勢志摩ユースホステル

私にとって、かけがえのない思いのあるユースホステルの一つです。
大学を卒業し、某国のメーカーに入社しましたが赴任地は三重県でした。
まぁいきなり某国に行けるわけも無いし、少々クサりながらもしょうがないなぁ、という思いで出向いていきました。

赴任してしばらくの間は、田舎に来てしまった・・・という気持ちは強かったです。(今風に言うなら都会ロスですか、ね)
ただ、偶然というか、赴任したその年の秋(1973年・昭和48年)伊勢神宮に於いて第60回式年遷宮が行われたのです。

20年に1回行われる式年遷宮、次回は見れないかもしれないと思い、休みのたびに訪問していました。
確かにその通りそれ以後は見ていませんし、2033年に行われる第63回式年遷宮の時には生きていないかも・・

伊勢志摩ユースホステルがあった事は知ってたんですが、なかなか行くチャンスがありませんでした。
私的には東京を離れた時点で東京都のYH協会からも離れ、YHから縁が遠くなった感じだったのも確かです。
でも「お伊勢さん」(伊勢神宮)を通して地元を知り始めると、伊勢参りを含めた歴史も面白く、旧・伊勢街道(参宮街道)を通りながら
足繁く通うようになっていきました。
そうなると、そうです・伊勢志摩ユースホステルの存在感が大きくなるのです。

時間かけてアパートに帰るより、半分以下の時間で着くうえ食事までとれる伊勢志摩ユースホステルに行くようになるのは必然です。
始めの頃は一般ホステラーですから、普通にホステリングの形です。
伊勢志摩ユースホステル玄関前にて
一般のホステラーと違うのは、旅をすることが目的でない事と(お伊勢参りが旅なのかもしれませんが?)行きも帰りも車なので時間がたっぷりある事。
何回か宿泊を繰り返すうちに、少しずつYHのお手伝いをするようになっていったのですが、これもまた必然だったのでしょうか。


伊勢志摩ユースホステルは今も昔も同じ場所に建っています。
伊雑ノ浦が見渡せる高台にあります。
近鉄・穴川駅から海沿いに10分ほど歩くと瓦屋さんの奥に伊勢志摩YHの看板が見えるので、登っていきます。
海岸沿い(標高ほぼ0m)からYHのある丘の上まで一気に30mを上がるのは歩いてでは結構しんどかったですね。 
YH入口のカンバンには「もう少し!がんばれと」書いてありましたけど・・
 写真はスノーレコードさんからお借りしました
上のレコードジャケット左側の三角屋根が伊勢志摩ユースホステルです。 右手の海は伊雑ノ浦です。
海といっても非常に狭い海峡で外海とつながっているため、海より汽水湖、汽水湖というより淡水湖と限りなく淡水に近い海です。
ウナギの養殖やアオサのりの養殖が有名でした。
ウナギと言えばYHのあった磯部町には「川八」という有名なお店がありました。 料亭旅館として全国からお客を集めていたと聞きます。
常時空きっ腹の私に磯部町にあるお客様では行く度に「川八」の鰻丼を取ってくださって、旨さに涙を流して食べていた記憶があります。
大げさすぎるか・・・いやいや、本当にうれしかったです
そんな「川八」でしたがバブル投資で失敗したらしく、倒産したと聞いています。  あのかば焼きのタレも廃棄されたのでしょうか?

1963年(昭和38年)12月開所
伊勢志摩ユースホステルは1992年に改築され、上の写真のような三角屋根の建物は無くなりました。
改築後の伊勢志摩ユースホステル

もう一つ大きな特徴としてユースにプールを持っていました。 ハンドブックのガイドにも25mプールと書かれています。
でも本当に一部の人にしか知られておらず、泳ぐ人はほとんどいませんでした。
でも泳ぐ人があれば監視が必要となり、私も良く駆り出されました。
多くの場合、大学の合宿で使われていましたので、その場合は監視は不要。
またプールのメンテナンスは結構大変で、ペアレントのお父ちゃんは毎日必ず水質検査と塩素濃度の確認をしていました。
初夏にはプールの全面清掃を行います。 それまで溜まっていた水を抜き、プールの全てをデッキブラシでゴシゴシとやるのです。
この時はトヨタ自動車のユースホステルクラブのメンバー10人ほどがクラブの年中行事としてスケジュールを組んでくれていて、私はクラブのスケジュールに合わせて一緒に手伝いをしました。
毎回晴れていたわけではありませんでしたが、初夏という事とスイムウェアーでやりますので雨の中でも実施しました。(笑)

上の写真は1975年(昭和50年)11月に撮られた航空写真です、YHの全景や右下に25mプールもきちんと写っていますね。
右の海は伊雑ノ浦、左上に直線で見えるのは近鉄志摩線の線路跡。(今の近鉄志摩線は穴川トンネルでショートカットされ見えません)

ところで良く「伊勢志摩」と呼ばれていますが・・伊勢地区と志摩地区を合わせての呼び方だと思うのです。
なので「伊勢・志摩」と書くのが正しいと思っています。 だとすると「伊勢・志摩ユースホステル」なのか、やっぱ違和感あるなぁ・・
「伊勢志摩国立公園」だし「G7伊勢志摩サミット」だったし、あまり気にしないようにしよっと。

いやいや、まてまて、英語表記では「ISE-SHIMA」となってるぞ。 う~ん、う~ん・・・・・

さてさて、1974年7月に三重県志摩地区で第11回全日本ユースラリーが開催されました。
この頃はすでにどっぷりと三重県のYHにはまり込んでいましたので、お手伝いをさせてもらいました。
ユースラリーとは? Google先生に聞いてもほとんど出て来ません。
ちょっとだけ前年に行われた秋田でのユースラリーの記事がありますので見てください。 少し参考になるかな?
秋田ユースラリーP1
秋田ユースラリーP2
秋田ユースラリーP3
7月26日開会式後に行われた記念講演は薬師寺管主の高田好胤師でありました。
当時絶大な人気のある僧でしたから、近隣からも多くの方が来られていたと聞いています。
私なんかはスタッフといっても下っ端ですからその他の準備に追われ全然聞くチャンスはありませんでした。
それとも聞いたけど全然覚えていないのか?

翌日は野外活動があり、私はサイクリングのリーダーでした。 が・
その夜、突如問題発生。 サイクリングに参加予定の100名近いホステラーが全員・突然参加しないと言い始めたのです。
実はサイクリングは3コースあり、私が引率する予定のコースは山を越えて漁村までのかなりハードなため男ばっかりで組織されていたのです。
現地に来るまで男ばっかりコースだと知らされていなかったホステラーの不満が一気に爆発。
実は私もサイクリング引率してね・程度しか言われていなかったので、自分的にも「え~」でしたが、そこはリーダーとして・・・
夜、会場となっていた鵜方小学校の教室で”すったもんだ”ありましたが、まぁ野郎ばっかだけど行ってみるべぇとようやく意見一致しまして

サイクリングの日、お天気は良かったです。
コースはきつかったですね、私もフーフー言いつつ玉の汗。 というより汗シャワー状態。
休憩場所では馬のように水を飲み、道中で体中から排出。
そんなことを繰り返しながらもなんとか浜に到着、お疲れさまでした。
お昼を食べて浜で遊んでいると、何人かのホステラーがやって来て、腕時計あるんですか?濡れて困るものってあるんですか?と聞いてくる。
何とも思わず、食事場所だったお寺においてあるというと・・突然ホステラー達に手足をつかまれ
あっという間も無く空中に放り出されたのです。 そのまま海にドッボ~ん。
なんだよ・このコースの事まだ根に持っているのかと、思ったのは間違いだったらしく、野郎ばっかしだったしコースもきつかったけど途中で落伍者も無く声かけながらやってきたのがすごく一体感があって楽しかったんだってサ。
なら、そう言えよ~。 もちょっと表現の方法あるだろと思いながらも、手荒だけど純なやり方にとてもうれしかったです。
嬉しかったせいもあるのか、帰りの事は全く記憶にありません・・・
アンケートにサイクリング【海・山コース】楽しかったと書いてくれた人多かったです。 嬉しい!!

   

写真にスタッフバッチが写っていますが、ユースラリーではボランティアが多くを手作りで準備したと記憶しています。
バッチの色は何色かあり、色で役割が決められていたように思います。 私の手元に他の色もあるのですがデカデカと名前が書いてるので自己規制。
このバッチもユースホステル伊勢グループの皆さんと、大和印刷の冬賀社長の会社の一部を借りシルクスクリーン印刷して作ったものです。
冬賀社長が伊勢グループの代表をされていたと思います。 冬賀社長は私にはじめて「伊勢うどん」を食べさせてくれた方でもあります。

伊勢志摩ユースホステルには、お父ちゃん「小菅慶三」さん。(ペアレントさん)
お父ちゃんはハンドブックに名前が出ちゃってますから書いていいですね。
お父ちゃんとお母ちゃんと、お子さん二人がいました。
お子さんのお一人はNHKで放映されていた朝の連続ドラマ「エール」で、俳優の方々に歌唱指導をしている「けいこ」ちゃんです。
もう一人のお子さんはピアノの調律師として名を成していらっしゃるようです。
音楽一家ですね。
 お母ちゃんから頂いた絵葉書、文面はヒ・ミ・ツ

「けいこ」ちゃんはよく誰もいないYHの中で頭のてっぺんから突き抜けるような高い声で「あ・は・は・は・は~(もちろんメロディーつきで)」なんて、一度ずつ上げたり下げたりしながら発声していましたっけ。
私がミーティングの時、ホステラーといっしょに歌を歌っているとお母ちゃんやけいこちゃんが歌うまいねと言ってくれたのですが・・・
今思うと何とも恥ずかしい限りであります。(穴があったら入りたいってやつね) 

「けいこ」ちゃんは、ちゃんと自分のジャズ・ヴォーカル・グループ「BREEZE(ブリーズ)」を結成していて、元気に活動しています。
確か1993年が結成年だったと思うので、もう4半世紀以上。 息長いですね。
皆さんも応援してあげてください。
ユースホステルから生まれた歌姫ですから。
ほんとうはね、、抒情歌とかユースホステルで歌われていた歌なんか歌ってほしいかな・・なんて思ったりして・・・

コメント