北回り12回 第3日目 7月23日(日)


ルベシベYHのみなさんのお見送りを受け発車と同時にテーマソングを一発、元気でるねぇ。
元気の出る歌だったけど、2日目に書いたように何の歌だったか思い出せない「山賊の歌」だったかなぁ。

途中の国道の両側には一面の畑が広がります。

かつて北見エリアは世界一のハッカ生産量を誇っていました。 でも1960年以降合成ハッカが出来たことにより一気に衰退。
私たちが見ていた畑はすでに玉ねぎだったりジャガイモだったりの通常の畑作でしたが、ハッカは無くなったわけではなくドライブインなどではハッカ油などを売っていました。
ハッカの葉を乾燥⇒蒸し⇒蒸留の工程を経ることにより、ハッカ油とハッカ結晶が取れます。 こうして採れたハッカは和種ハッカであることもあり、柔らな感じでしたね。 合成ハッカ(ペパーミント)はきつ過ぎ。

バスの前面ガラスの向こうに、お~・でっかいサロマ湖が見えてきたぁ。
日本で三番目の大きさで、北海道では最大の大きさです。

上の写真は幌岩山展望台からなのでバスからこんなに良く見えるわけではありません。 コースに含まれてもいません。
(ここの展望台まで行くには、ちょ~時間かかりますし)
サロマYHで休憩です。(サロマ湖畔YHとは違います:日本YH協会直営であることは変わりませんが)
サロマYHはピラオロ展望台の横にありました。
上の写真の湖の左側、鍵型に出た防波堤のあるのが富武士(トップシ)港で、このすぐ横にある小高い丘がピラオロ台になります。
当時の富武士はもっともっと小さな漁村でした。
 広報さろま65号(昭和37年8月15日発行)

鉄道(勇網線)は全線サロマ湖沿いを走っていたイメージが大きいですが、佐呂間町あたりでは大きく内陸に入り込みサロマYHはとても不便でした。
佐呂間駅から富武士まで五万分の一地図でザッと見ても10㎞位ありました。 ハンドブックには11kmと書かれています
 1962年(昭和37年)7月開所
大発見!(2021.3.8)
Ninojiの戯れ言」と言うブログにサロマユースホステルの写真が載っているのを見つけてしまいました。
 館内の写真はチョー貴重品です。 「当時のにおいプンプン!!!」 涙が出そうになりました。
大きい写真があります、ぜひぜひ「Ninojiの戯れ言」ブログを見に行ってください。 ブログ名か写真をクリックしてください、飛びます。

サロマ湖の歌と言えば、三田明さんの「サロマ湖の空」だったんですが、youtubeから削除されてしまったので他の方の「サロマ湖の空」で・・
何時のかわからないけど新しいと思われる富武士港が写ってます。

サロマ湖を左に見ながら「冬は結氷すんですよ、カキがおいしいです」などとガイドさんの話を聞きました。
サロマ湖ではカキが良くとれていたようです。 湖畔には「かき島荘」と呼ばれる町営のユースホステルがあったくらいです。

画像の「祝・サロマ湖周遊地指定」(昭和42年8月8日)横断幕の右下に隠れるようにJYHの△マークが見えます。
この時町を挙げての式典があり会場は「かき島荘ユースホステル」だったとか。  残念ながら私は泊まったことがありません。
 1962年(昭和37年)5月開所

サロマ湖のホタテが有名になったのは昭和になってから、オホーツク海とつながる湖口が出来てからです。
それまでサロマ湖には明確な湖口が無くほぼ淡水湖でしたが昭和4年に第1湖口が出来て一部が汽水湖化しました。
しかしこれによってオホーツク海の冷水が流入し北側のカキは全滅、南側のカキは汽水化したことにより更に良くとれたようです。
昭和54年になって第2湖口が完成し、サロマ湖はほぼ海水湖化してしまいました。
オホーツク海の海水による冷水化によりほぼカキは無くなり(と言っても今でも年1000t位は取れているらしい、1000tと言われてもどれ位の量かわからないが?)ホタテ養殖が主流になったようです。

その後、交通の不便さもあって東へ10kmほど離れた浜佐呂間に「サロマ湖畔YH」が作られ1978年(昭和53年)に移設されました。
これによって「サロマユースホステル」は役目を終わり「サロマユースホステル」の名は無くなりました。
1981年(昭和56年)のハンドブックより 
サロマ湖畔YHの設計は北海道建築の雄「田上義也」氏です。 建築から見た「サロマ湖畔YH」の紹介は こちら からどうぞ。

サロマ湖はいろいろな市町村に囲まれていますが、一番大きい街は北見市常呂町常呂です(前は常呂郡常呂町でした)。
ここに2018年平昌オリンピックで「もぐもぐタイム」をとり一躍名をはせた女子カーリング種目のLS北見チームが本拠地を置いています。
銅メダル取りました、立派ですね・拍手!!
完全結氷したサロマ湖を見ると超巨大なカーリングリンクのようにも見えますから、いかにも・・・なんでしょう。
ちなみに常呂町でのカーリングは昭和55年(1980年)に始まりましたので私たちが知らないのはしょうがないですね。

サロマ湖を離れしばらくすると網走5湖の2つ目、能取湖が見えてきます。 案内が遅れてすみません、網走5湖の1つめがサロマ湖です。
能取湖畔の卯原内地区にサンゴ草と呼ばれる、秋になると真っ赤に色ずく草があるので立ち寄ります。
時期的にまだ早いのですが、それでも少し赤い色を見せて「秋においでよ」と呼びかけてくるようです。
 真っ盛りのサンゴ草

能取湖のある網走市卯原内地区ではその当時「ミンク」の飼育が盛んでしたので見学に行きました。
ケージに入れられたミンク 

あなた
なんでこの地で「ミンク」の飼育が盛んだったのですか?
水産業者がすごく力を入れてました。
魚の養殖と同じような考え方で付加価値の高いものを得ようとたくらんでいたものと思われます。
それと水産資源の拡販でしょう。(捨てるようなモノを餌にして育てればいいわけですから)
あなた
写真だけ見るとかわいい~
この子はシルバーだね
一匹ほしいなぁ
でもね「ミンク」って「イタチ」の仲間なんだ。
頭がいいのでわずかなスキを見つけて抜け出して行くのよ・・・ 「ミンク」の野生化です。
異種外来生物として法規制はされていたものの、ほぼ無管理状態の飼育場から抜け出した数多くの脱走者たちは北の大地を新天地とし、いまや我が地とばかりに従来生物の地を蹂躙しているのです。
激しい気性と雑食性で悪さはすごい、最高級の毛皮着ているから寒さも何のその。 北海道に定住した害獣です。
オスカーの授賞式に高級毛皮を着て行った女優さんに生卵がぶつけられたと・・
そんな話もありましたね。
動物愛護団体から見れば、狭いケージに入れられ無理やり食べさせられ⇒大きくなる=屠殺この流れは動物虐待そのものに見えるのでしょう。 まぁ、あまり過激な活動は、良くないですぅ・・
今は毛皮はフェイクの表示が無いと売れないそうです。 良い時代になりました。
私たちもその頃の経済活動の見学として行っただけで「ミンク」飼育を応援に行ったわけではありません。(臭かったね)
時代と私たちの関わり合いの見本だったのかも。

続いて能取岬に行きます。

私的には全国の岬の中でいちばん好きな岬と灯台です。 余談になりますが二番目に好きなのは三重県の安乗岬と安乗埼灯台です。
緑の草原の向こうに雄大な真青なオホーツクの海と白と黒の灯台が浮かびあがります。
緑の草原は網走市の「網走市営美岬牧場」と言います。 確かに国土地理院の地図には「市営美岬牧場」と書かれてます。
今どきはドローン撮影ですね、空撮動画をスカイハイさんからお借りしました。


思わず「岬めぐり」の歌が出そうですが、この時にはこの歌まだ作られていないんです。残念。 (1974年6月1日リリース)
その時は何の歌を歌ったのかなぁ?? たぶん「オホーツクの海」(蒼いうねりも 汐鳴りも・・・)かな、千春の同名の歌ではないよ。
歌っていたのは「花村菊枝」さん、むかし「潮来花嫁さん」を歌っていた方。  知ってる人いるかなぁ?

灯台は写真で見てわかるように海面よりかなり高い位置にあります。 海食崖の上50mほどあり、ここを下るのは相当な勇気と体力が必要です。
あんまり時間はなかったし、下り口を教えていなかったのに何人も波打ち際まで下りたようです。(私も・・・)
♪「岬めぐり」が無くてはね、ということで一緒に歌おう。

う~む・リコーダーが

【山本コータロー氏:逝去】 2022年7月4日、脳内出血のため死去、73歳。
ほぼ同世代でした、がっかり。
頭は良かったんです、一橋で「誰も知らなかったよしだたくろう」なんていう卒論書いています。
「岬めぐり」のその後を探していたら、とんでもないものがありました。 さすがに版権的にこれはないだろうと思う・・けどUP


女優さんが手に持っているのは・カセットテープの初代ウオークマンぽいぞ、かっこいいなぁ・・・ でもヘッドホンが違うんだ!

網走で昼食です。 確か? たぶん? そうだと思う? 有名すし店「寿司安」だったと思います。
もちろんホタテ、カニ、イクラの北海道珍味満載の生寿司・・・が出るわけはなく、お弁当だったよね~ と、思っているのですが・・・
その時のスタンプ帳にYHだったオホーツク荘のスタンプが押されているの。
オホーツク荘で昼食が出たの?
オホーツク荘でお弁当を食べただけ?
オホーツク荘の隣の水族館に行ったの?
水族館でオオカミ魚を見たような見なかったような??? 

 1963年(昭和38年)1月開所


写真はオホーツク荘YHのあった場所の隣にあった「二ツ岩」、それっぽく二つ並んだ岩が・・・ 左側の岩の左側に水族館とYHがありました。

北浜原生花園に向かう途中「モヨロ貝塚」に寄ったと思うのですが、記憶にありません。
オホーツク文化と呼ばれるアイヌの文化とも違う独自の文化が形成されていたとの事ですが・・・

ハンドルを元に戻して、っと 昼食後の眠いのを我慢しているとすぐに北浜原生花園です。
時期的に花は少ないんですが、カンゾウやハマナスが迎えてくれます。

線路のすぐ東は小清水海岸、西側には道路を挟んで網走5湖の1つトーフツ湖です。 上の写真に見える遠くの山は百名山の一つ「斜里岳」

みんなで海岸に出て遊びました。
だいぶ打ち解けてきてくれています、うれしい。
遠く向こうには知床連山が見えます。 流氷が入ると海の部分全部が真っ白な雪原のように見えますよ。 下の写真に見える遠くの山は「海別岳」

網走市内に戻ります。
原生花園を出るとすぐ左手に網走5湖の一つ、藻琴湖が見えます。 小さい湖です。
網走市内戻るのは天都山に登るためです。

天都山は207mの山ですがオホーツク海の展望の良いことで知られています。 この写真の看板の向こう側は網走湖、その右奥は能取湖です。
天都山からはその当時YHだった友愛荘側に下ります。
下りきった目の前には網走川。 その向こう側には農園が広がります・・・ そこは国有地の番地のない「番外地」!
ガイドさんから網走川にかかる「鏡橋」の謂れを聞き、身の締まる思い。 刑務官になる人以外?橋は渡らないようにしましょうね。

放送禁止になった歌 : でもみんなが知っていた歌

歌詞の中の「きすひけ、きすひけ、きすぐれて」は「きす=酒」なんだそうで、「酒呑め、酒呑め、一日中酒呑んで」だそうです。 へぇ~!

網走湖を右に見ながら走ると間もなく今夜の宿である美幌YHに着きます。 YHから大きな「お帰りなさ~い」の声が聞こえます。

 1965年(昭和40年)10月開所

今日の宿泊スタンプ・・ペタ! 

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