北回り12回 第4日目 7月24日(月)


美幌YHから美幌峠に向かいます。
朝の歌一発!

美幌峠への道すがら、バスガイドの阿部ちゃんが「バスに峠の夢のせて」をうたってくれます。
う~全然覚えていない。  今思うに、いい歌だったのに~ ガイドさんが歌うとなんかいですよね~
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小1時間ほどで美幌峠の展望台へ
 美幌峠
写真をクリックすると美幌峠の歌が流れます。 でも別画面で開きますので、忘れずにこのサイトに戻って来てくださいね(笑)

当時は北海道の三名峠として石北峠、美幌峠、狩勝峠とうたわれていましたが、最近は知床峠、三国峠、美幌峠と言われるようです。
でも美幌峠は残っていますね、うれしいです。
峠から見る景色はなんて雄大なんだろう、見えている湖は屈斜路湖です。
日本最大のカルデラ湖で、湖そのものの大きさでも6番目だそうです、ちなみにサロマ湖は3番目。
この事は、ちゃんとガイドさんが教えてくれました、ホスバスに乗ったホステラー諸君覚えています、よね。
ドローンの力を借りて天空よりの動画

峠を下りると見えていた屈斜路湖畔です、ちょこっと盲腸のように飛び出ている和琴半島を1周してみます。
標準タイム1時間のところ、みんな元気で30分ほどで終了。
続いて砂湯に移動しましたが、みんなが元気あふれてここ掘れワンワン状態なもんで穴だらけになってしまいました、砂湯の方ごめんなさい。
砂湯ですから掘ればお湯が出るので、足湯ができます。もっと大きく掘れば落とし穴、じゃなくって寝湯が・・・できるのか?

アイヌ衣装借りてパチリ、アイヌの方お二人にも入ってもらっています。

写真館の小屋で着替えこの衣装のままゾロゾロ湖畔を歩いて撮影場所まで来たのですが、途中他の方々から怪訝な目・目・目
でもいいんだもん・こんな格好で記念撮影なんか普通出来ないもんね。 逆に”いいだろ~”なんて思っちゃって。
※50年近く前の写真ですが、昨今の個人情報なんちゃらで解像度をかなり落としています。
私の顔はこんなんじゃな~い、とのクレームはしないでくださいね その代わり大きい写真のほしい方はご連絡ください(要、当時のお名前と住所)

硫黄山は活動中の火山、山全体が大涌谷みたいなもので同じようにゆで卵を販売していますが殻は白色です。 箱根だと「黒たまご」
硫黄山のシューシューという激しい噴気に見送られ・・・

さあ!最大の見どころ摩周湖へ向かいます。
1966年にリリースされた「霧の摩周湖」の思いが強く、みんな「摩周湖=霧」なんて思いにとらわれて湖面が見えなのでは、と考えているようです。
ガイドさんもそれを煽るように「♪ 霧ぃに抱かれて~」なんて歌うんです・・・


でもガイドさん車内の空気を感じたのか、晴れのおまじないを教えてくれます「カムイポプニカ、アーホイヤ」アイヌ語で晴れますようにといった意味です。(真偽は?なんて野暮なことを言ってはダメですよ)
当然バスの中は「カムイポプニカ、アーホイヤ」の大合唱、あまりの騒々しさに神様へそを曲げないでね、とリーダー思う。

摩周湖は、ご覧のとおり。
と言って写真を貼りたいところなのですが・・・みんなで写した記念写真どこかへ行っちゃった。 ダメじゃん。
ごめんね、大事な大事な写真なのになくしたみたい。 とっても悲しい。 けど見晴らしは写真よりずっと素晴らしかったです。
えい、しょうがないスナップ見せちゃおう、摩周湖の水面ちゃんと見えてました。
前列中央の女性の赤いパーカーのすぐ左横に青く湖面と摩周岳が写っているでしょ。 解像度わざと低下していますけど、わかる?
左端の人が食べているのは、途中の川湯YHで積み込んだお昼のお弁当です。
ホスバスの昼食は簡素なものが多かったです。(旅行中の食事は三食付いているには付いていたんですが・・)
なのでみんな「はらぺこ若者」達ばかりなので、ごはんお代わり自由のYHでは毎日大食い大会になってました(笑)

ドローン画像から思い出してください。

第一、第三展望台と回り山を下るとき(摩周湖は摩周岳の火口カルデラですから高い山の上にあったんですよ、みんなガイドさんの説明おぼえてる?)、なんか自然発生的に「霧の摩周湖も見たかった!」との声。
え~なんでだよ~ 本当に霧がかかった時は何にも見えません、白い霧だけ、自分の足元しか見えないんです、それでいいの? (実はリーダーは、摩周湖晴れ男です、わざわざ霧を見に来たことはありますが基本晴ればかり!) 湖面の見えたことを神様に深く感謝してね。

ジャガイモ畑の続く道を知床へ向かいます。

斜里YHで休憩。 色々な意味で有名なYHですね。
南回りコースでは宿泊します。 北回りでは休憩のみ。

知床に向かう途中オシンコシンの滝を見ます。 川の名前はチャラッセナイ川だそうで舌を噛みそう。
今は海沿いの道から見上げる滝ですが当時は眼下に見えていました。 (滝の上に道路がありました)
まぁ、別にどうということのない滝です。 知床八景だそうですが何で有名なのかわかりません。

さてバスは今夜の宿泊地ウトロの街をいったん通り過ぎ知床五湖へ向かいます。
左手に岩尾別YHを見ながら知床五湖へ。
道路は斜里を過ぎてから非舗装路です。
非舗装道路はもう何回も通って来ているのでどうとも思っていませんが夏の暑い時期、それも冷房などないバスですからみんな砂だらけになります。
今なら何なんだよ、というところですがその頃は当たり前のことでしたから誰も文句など言いません。

知床で歌といえば「知床旅情」ですね。 もちろんみんなで歌います。
おトキさん若い、きれいな声が出ています。 節は加藤登紀子オリジナルですね。


よく聞いて覚えておいてください、明日の5日目に載せる森繁版と比較してみて下さい。
曲としてはこちらの方が洗練された感じです。 (なじみやすく歌いやすい曲調になったのでヒットしたのかも)
でも知床ブームは私たちのこのバスの後です、私たちは一歩も二歩も先行ってました、ネ・・・いや半歩くらいかナ

五湖はいいところです、でも虫が多くって・・・
私的には熊より虫の方がちょっと。 とはいえ熊もちょっと以上に・・・危険物です。
私たちが訪ねたときは木道なんてなかったし・・くまさんと同じフィールドを歩いていたわけですから・
一湖から順に回りますが次第に早足になっていきます。 ポイントで写真を取ったらハイ次へ、次へ・・・
概ね1時間半程度の行程を40分ぐらいで回ってしまました。
最初はてくてく、最後は駆け足、はぁはぁ・・・だったような。
 五湖と知床連山
ヒグマの巣のような場所にメンバーさんを置き忘れないないように二度三度と人数確認したうえでウトロへ来た道を戻ります。

再度岩尾別YHを右に見ます、ひっそりした岩尾別川沿いにありますが実はこの川、秋になるとヒグマがサケを捕食に来る川でした。
岩尾別YHを訪ねたホステラーの一人「さとう宗幸」さんが思いを込めて作ったのが「岩尾別旅情」
残念なことにレコード化され広く知られたのは1978年ですから、ホスバスでは歌えませんでした。 残念!


歌っているのは「 鳥海奏妃(とりうみかなこ) 」さんです。 彼女のコメントもご覧ください。
【岩尾別旅情は、父母がペアレントをしていたユースホステルで生まれました。まだデビュー前のさとう宗幸さんが滞在したときにつくり、父母にプレゼントした曲です。当時の写真をご覧いただきながらお聞きください。】

今夜の宿は知床YHです。 3時半頃到着、すぐに砂だらけの体をお風呂で流します。
 「あうとどあ」さんからお借りしました。

夕食前にウトロ港にあるオロンコ岩に登ります。
その昔、このあたりに住んでいた先住民族「オロッコ族」から、この名がついたといわれています。
高さが60mもある巨岩で、170段あまりの急な石段を上っていくと頂上は平らで、青く澄んだオホーツク海や知床連山などが広く見わたせます。

上の写真で、左というかほぼ中央の岩山が「オロンコ岩」、右側の岩は私たちの頃は「三角岩」でしたが、なんか今は「ゴジラ岩」呼ぶとか?
それよりか昭和53年以降にオロンコ岩にトンネルを通してしまい、オロンコ岩と三角岩の間を駐車場にしてしまいました。 お~なんてことだ!
知床半島を一周する船に乗るためにはオロンコ岩の東側を、ぐるっと回って行ったのですが・・・

夕食後北海道3大夕日と言われるウトロの夕日をYHの裏庭の崖の上から見ました。

ちなみに北海道X大夕日と言われる場所は、夕日の見れるところ全てで、勝手に名付けるのでいっぱいありますネ。

夏の北海道は東京より日中の時間が小1時間ほど長いです。夕日も7時頃ですから十分間に合います。 美しいの一言。
さて明日は5時30分発の知床観光船に乗ります、早々に寝ましょう。

 1960年(昭和35年)12月桑島旅館兼業YHとして開所

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