南回り14回 第1日目 8月7日(月)


札幌駅北口にある札幌ハウスが集合場所です。
今と違い飛行機はやたら高く、ヤングは全然使えませんでしたのでみんな国鉄の周遊券を利用していました。
1972年当時東京発の北海道周遊券は7440円(16日間有効)でしたが、今の時給からすると結構高かったです、それと有効期間も少し短かったですね(このすぐ後に値上げとともに有効期間は20日になりました、価格は時代のインフレにひきずられ毎年のように改定されました)。
そうは言ってもこの切符を使わないと安く旅を仕上げられないので、カニ族と呼ばれる北海道旅行するみんなの定番でしたね。

 斜里駅前に集まるカニ族
カニ族と言っても野宿派とYH派で装備が全く違います。 野宿派はテントや寝袋まで持っているので大きなキスリング(横幅の大きなリュック)でした。
なので人混みや狭い場所を通るとき体を横に向け横歩きするため「カニ」と言われ、いっぱいいたので「カニ族」と呼ばれました。
山でも横幅があると木や岩に引っ掛かる危険もあるので今は使われないです。 旅行スタイルそのものが変化しました。
ちなみに、野宿派、YH派ではなく駅泊派と呼ばれ駅に泊まるか夜行列車車内で泊まるかで一切宿泊施設を使わない突撃派もいるにはいました。

皆さんが乗ってきた青函連絡船「津軽丸」型
こちらは昔の石炭焚きボイラーで四本煙突の連絡船  この船はあの「洞爺丸」

 当時の札幌駅です、この駅に降り立ちました。
15時になると、YH内にホスバスの専用受付を用意し、私たちリーダーも北海道YH協会の職員さんと一緒に受付を始めます。
はじめてのYH、はじめての長期旅、はじめての一人旅、と一人一人の参加者の思いが受付をしていてもひしひしと感じられる瞬間です。
逆に言うとリーダーにかかる責任の重さを感じる瞬間でもあります。
夕食後のミーティングの時間(YHのミーティングについては別コラムに書きます)に全員で顔合わせです。
これから始まる11泊12日間の仲間になります、ドキドキですね。
今回も男性は割と多いです。 2:1ぐらいかな。
ということで男性お一人にサブリーダーをお願いし、班はすでに決めてあるのですが、それぞれ班長さんを決めてもらいました。
突然のお願いで戸惑ったかもしれません、ごめんなさいね。

札幌市民憲章
前章:わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。
1章:元気ではたらき、豊かなまちにしましょう。
2章:空も道路も草木も水も、きれいなまちにしましょう。
3章:きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。
4章:未来をつくる子どものしあわせなまちにしましょう。
5章:世界とむすぶ高い文化のまちにしましょう。
美しい街並みの札幌市民に受け継がれる憲章です。 うらやましいですね。

どうでもいいことですが動画では憲章の第2章「空も道路も草木も水も、」が「空も道路も草も木も、」と書いてあるし読んでもいるし・・・
どうなんでしょう??  草木を「くさ」と読むことは出来なくは無いけど、水を「き」とどうやっても読めないけど。
まあ憲章の本質である「街をきれいにし、自然を大切に」しましょうという意味では間違いではないのでこれでいいのかな。
市民憲章全文は本当はもっともっと長くいろいろと書いてあります。 皆さんも一度札幌市のHPにアクセスして読んでみてください。
音源は昔のソノシートとの事、編集もそんなものだったのでしょうか。

本当の「時計台の鐘」の音。 皆さん思い出してください。

よく日本の観光地「三大がっかり」の場所として札幌時計台、高知・はりまや橋、長崎・オランダ坂の名前が挙がりますが、私としては高知・はりまや橋を除いては(高知の方ごめんなさい)そんなに悪くないと思います。
意外と小さいとか、ビルに囲まれているとか、皆さん何を求めて期待して時計台に来るのでしょうね?
当時の農学校の広い敷地の中で、勉強熱心な学生たちに時を知らせていたと思えば違った見方になると思います。

当時の姿をそのまま残す演武場と時計台、当時の鐘をそのまま鳴らす機械式時計。
私も、私の父も母も、その父母も聞いていた時計台の鐘。 私は何のがっかりもありません。
がっかりと記事にした朝日新聞のアホ記者に ” 喝 ”

続いて皆さんに教えられなかった「時計台の鐘の鳴る街」(時計台のある街) 【昭和47年北回り1日目、7月21日のブログを見てください】


へっぽこリーダーでごめんなさい。 それこそがっかりだったかも・・・

今回のホスバスの走る直前の冬、1972年2月3日から2月13日の間「札幌オリンピック」が開催されました。
東京が1964年の東京オリンピックで一気に近代化が進んだのと同じように、札幌の街も劇的に変わりました。
札幌市内で大きく変わったものと言えば、市内交通です。
こんなにステキな北欧調の路面電車が市内を走りまわっていました(今から50年以上前にですよ・今見てもステキなデザインです)
でも一部路線を除いて廃止になってしまいました。 今でも走っていれば、最高の市内交通と思われるのですが、ダメなんですかね?
ちなみに電車の写っている場所はすすきの交差点です。
後ろに写っている看板の「ひつじや」さんは、手編ニット物で最高の品を提供してくれていましたね。
時々見に!行っていました。 ごく(ごく)たまに買うこともありましたが・・・
たしかグランドホテルに売店があったし、千歳空港にもあったのでは?
このカーディガンはフェアアイル柄というのかな? 作りも非常に丁寧で手に持つとずっしりとしていました。

青山の「ジロー」さんとともにオリジナリティのあるカッコいい商品をいっぱい作ってくれていました。
ジローのアメリカンパッチワークのダウンベストとか、グーですな。

市内交通から脱線しましたがお好みのステキなお店が無くなってしまうのはちょっと残念です。
狸小路のラーメン「起平」とかねぇ・・・大脱線(笑)
脱線ついでに、皆さんが札幌観光で乗った地下鉄は下の写真の電車、2000系だよ。
 この車両も窓が大きく、初めて見たときはかっこいい!電車だね、と思いました。
足元を見てもらうとレールと車輪がありません、タイヤで走っています。  先進的でした。  この電車は絶対脱線しません(笑)

この地下鉄に「霊園前」という駅があり、近くに友人がいたのですが、いつの間にか駅名が変わっていました。
この先の駅「自衛隊前」とともにかなりストレートな名付けですね。

もう一つ路面電車ネタですが、鉄北線という路線があり北のはずれの方は変電設備を作れなく線路だけひかれた状態でした。(北24条⇔新琴似間)
このためここにディーゼルカーを走らせたのです。
かなり変わった組み合わせでしたがデザインだけは札幌オリジナルが貫かれています。
上の写真を見てもらうと、架線も車両にパンタグラフも無いでしょ。

みんなにこれからの行程や予定を伝え、自己紹介などをして一日を終わりました。

 1955年(昭和30年)5月開所、この写真の建物は初代
札幌ハウスは北海道青年会館との兼業YHでした。 北海道で初めてのYHの一つです。
北海道の最初の5YH【札幌ハウス・野中温泉・おろふれ山荘(カルルス温泉?)・青湖荘(洞爺湖湖畔)・丸駒温泉】いずれも昭和30年5月から開始

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