北回り12回 第6日目 7月26日(水)


根釧原野(パイロットファーム地区)を走ります、
車窓からはまっすぐに伸びる道や広い牧場ばかりが見えています。
国が推し進める酪農のパイロット事業だから大規模農場が多いんだな・・・で正解は正解なんですが、この大きさは明治時代、北海道開拓使が作り上げた「根釧台地の格子状防風林」の仕切りが少なからず影響した場所なのです。
下の写真のように林帯の幅が約180m、格子の一辺が約3キロメートルもあるのです。
あまりの大きさに全体を知るすべがないほどで、バスに乗っていると(平地からは)普通の牧場と林があるのかな?という程度の認識になってしまいます。
スペースシャトルからは良くわかるらしいです。
ナスカの地上絵の何万倍もの大きさですから。
北海道開拓使の先取の精神を見ることのできる遺産です。 こういうのが北海道なのです。

上の写真は飛行機からで、ふ~ん、という程度で大きさは感じにくいですね。
下の写真は衛星写真です、大きさを感じ取ってください。 左横に見えるのは摩周湖。右横に見えるのは昨夜泊まった尾岱沼YHのある野付半島です。

格子状防風林の大きさは、一辺の長さが約3000m、幅180m、総延長は643kmになります。
中標津町・別海町・標津町・標茶町の4町に広がり、4町の防風林の総面積は15,000haに及ぶ壮大なスケールをほこるそうです。(東京ドームで例えると約3200個分ですが、東京ドームの大きさって?)
この防風林は、スペースシャトルに搭乗した毛利さんが宇宙から撮影した写真にもくっきりと格子状が映し出されていました。(毛利さん知ってますよね?)

バスが走る根釧原野(パイロットファーム)で生産される生乳を使ったチーズ工場の見学をしました。
その頃はまだ工場見学など一般化されていませんでしたので、見るもの聞くもの全てが「なるほど。へぇ~」の連続です。
工場見学の後はお決まりの試食タイム(その頃からあったのですね)。 チーズ工場でしたがアイスクリームをいただきました。 とてもおいしかったです。
雪印の工場

北海道の中でも根釧平野は、広いです。  隣の家まで車でないと行けないとも言われますが
 そうは言っても、買い物に往復220kmはないだろう。と思う(笑)

バスは弟子屈へ、もし4日目の摩周湖が霧で見えなかった場合、ここから再チャレンジができるコース作りになっています。
ですが晴れた摩周湖は見ているのでパスし、バスは阿寒横断道路を通って阿寒湖へ向かいます。
 阿寒横断道路(昔の写真過ぎでごめんなさい)

小一時間すると双岳台、双湖台へ到着です。
阿寒の夫婦岳、雄阿寒岳・雌阿寒岳が見える双岳台で、双湖台は双岳台から少し離れていますが二つの湖が望めます、
二つの湖の名はペンケトー(上の湖)パンケトー(下の湖)と言われます。
下の写真は双岳台(山は右が雄阿寒岳、左奥が雌阿寒岳)

下の写真が双湖台(見えるのはペンケトー、この写真からパンケトーは見えません。でもパンケトーが10倍くらい大きい)

さてさて阿寒湖につきました。

観光船の出航までに時間があるので、ボッケとか(別府でいう泥温泉みたいなもの)湖畔の土産物店を見ます。
その頃の流行といえばビッキの木彫りでしょうか。 「まりもっこり」などというお下品なお土産はなかったです。(なんとなく好きですが・・)
でもホステラー達は賢明、ベカンベ(ひしの実)を探し出してきてお土産にしています。
ビッキの木彫りではありませんが今も売っている木彫りのアクセサリー  
ビッキの木彫りは当時から高価で買った人はいないともいますが、もし今持っていたら高値で売れるみたいです。(余談ですが冗談ではありません)

観光船に乗ってチュウルイ島にあるマリモ展示観察センターへ行きます。
不思議なマリモ、いつまでも残っていてほしいものです。

  まりもの歌です、おぼえていますか?
本当はこのサイトから直接見れるようにしたかったのですが、貼り付けできませんので上の「まりもの歌」画像をクリックしてください。
但し別画面で開きますので、忘れずにこのサイトに戻って来てくださいね(笑)

まりもにはこんな話もありました、みんなバスガイドさんから聞いたっしょ。
昔、阿寒湖畔の酋長の娘セトナとそのしもべマニペが、いつしか恋仲となり、マニペがしもべ なるが故に二人の恋ははかなくも破れ、
セトナは遠く奏でるマニペの草笛に誘われて月淡き湖 水に二人は丸木舟をあやつり沖に出て、この世に結ばれぬ運命をふるさとの
湖底に結ぼうと身を 投げたのです。
このはげしくも清い恋に生きた二人のたましいが今も『マリモ』の姿になって永遠に生き、 その後相愛の男女がマリモに祈ると
不思議と幸せになると伝えられています。
こんなセトナとマニペの悲恋物語でした・が
私もこの物語をアイヌの伝説だと思ってましたが、大正時代に新聞記者の創作だったと判明しちょっとがっかり。

前に書きましたが、ベカンベ(ひしの実)を拾ってきた人いましたよね。
  写真はFMくしろパーソナリティ田村直子ブログ 『タムタム通信』からお借りしました。
時間がたつともっと茶色くなります、左上の奴なんか映画スターウォーズのダースベイダー・・・に似てません? 今ならもっと人気になったかも・・・
アイヌの人たちはこのひしの実をぺカンペと呼び、まりものことはトーラサンペと呼びます。
なぜ阿寒湖にトーラサンペ(まりも)があるのか?それはペカンペ(ヒシの実)の怨念だというお説はアイヌ伝説として本物らしいですよ。
知りたい人はご自分でググってね。

続いて北海道三大秘湖の一つと言われるオンネトーです。 いつ行っても美しい湖で、心が洗われる思いになります。

そして有名な「ねむるオンネトー」の歌。 素敵な歌ですが私たちが泊まった後に作られたため残念ながら私たちは歌えませんでした(涙)


この曲は、岩尾別旅情を作った「さとう宗幸」さんがアルバム「青葉城恋歌」を作った時3曲目に入れてからはやり始めました。
「さとう宗幸」さんが作詞作曲したと思われていますが、作詞作曲者は「田中耕三」さんです。 田中さんの現在の消息不明。

さて、私たちはオンネトー入り口でバスを下車します。
そのころ大型バスの駐車スペースは湖尻にしかなかったので先回りする形で回送します。
私たちは湖を左手でなぞるように非舗装路を1.5kmほど遊歩するのですが、そこはヤングです・・・何もしないわけはない。
道端にいっぱい生えている螺湾蕗(ラワンブキ)を手に取って、傘のようにかぶりコロボックル気分になりキャーキャー騒ぎながら歩きます。
熊の巣と言われたこの地の熊も恐れて出てこれないでしょう。 ですよね、森の熊さん。
ラワンブキ、大きいですね。  あれ?写っているのは地元の人っぽいけど、あの人??

さて今夜の宿、野中温泉YHです。(北海道で最初に開かれた5YHの一つです)
 1955年(昭和30年)5月野中温泉旅館兼業YHとして開所

さぁ、明日は雌阿寒岳ご来光登山です。 早く寝よっと。

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